【日々のみことば】11月20日

あなたの民です[ネヘミヤ記 1章1-11節]

これらの者たちこそ、
 あなたがその偉大な力と
力強い御手をもって贖い出された、
 あなたのしもべ、あなたの民です。
           ネヘミヤ記 1:10

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ネヘミヤはエズラ、ハガイと
同じ時代の人物です。
彼はアルタクセルクセス王の
献酌官でした。

彼のもとに来た
エルサレムに住むユダヤ人に
彼はエルサレムの様子を聞く。

ユダヤ人が大きな困難と
屈辱の中にあること。
城壁は崩され、
門は火で焼き払われたままだと
伝えられるのです。

これを聞いてネヘミヤは
数日間、嘆き悲しみ、
断食して天の神様に祈ります。

祈りの中で彼は、
イスラエルの罪を告白するのです。
このときもエズラのように、
他人ごとにしません。

自らも主の前に罪を犯したとする。
モーセを通して命じられた命令、
掟、定めを守らなかった。

そして彼は主のみことばの確かさ
主のあわれみにすがるのです。
主に立ち返り、主の命令を
守り行うなら、「わたしの名を
住まわせるためにわたしが
選んだ場所に連れて来る」と
約束してくださいました。

だから「あなたの民」を守り
幸いを見せて欲しいと。
また王さまの前で
あわれみを受けさせてくださいと。

主のあわれみにすがるには、
自分の罪をとことん悔い改め、
自分が無になるしかありません。

私たちはどこまで行っても、
主の前に正しくあり得ない。
主のみことばに従いきれない。

だからこそ日々悔い改め、
主のみことばの確かさに
自らを委ねていくのですね。

そして自分だけではなく、
自分の家族、教会、地域、
日本、世界のために執り成す。

彼らの罪は、私の罪として
主の前に赦しを乞う。
その祈りを主は聞いてくださり、
私たちに幸いを見せてくださると信じます。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、自らの罪を日々
あなたの前に言い表し、
 人々のために執り成す者とさせてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】11月19日

これから後の栄光は[ハガイ書 2章10-23節]

わたしはあなたを選んで印章とする。
 わたしがあなたを選んだからだ。
           ハガイ書 2:23

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主はハガイを通して、
民とイスラエルが
主の前に汚れているので、
そのささげものも
汚れているとします。

そして神殿が建て上がっていく前、
彼らの信仰がどうであったかを
問われるのです。

主は彼らのぶどう酒を減らし、
収穫物をうたれた。
それは彼らが主に
立ち返るためでした。

しかし誰一人として、
主に立ち返らず、
主に背き続けた。

そんな彼らを主は見捨てず、
時を定め、「今日から後、
わたしは祝福する」と
約束してくださるのです。

そしてイスラエルのリーダーである
ゼルバベルを励まし、
彼に告げます。

天地を揺り動かし、
もろもろの王国の王座を倒し、
王国の力を滅ぼし尽くすと。

けれど主はゼルバベルを選び、
印章とされると約束してくださる。
これはどういうことでしょうか。

印章は手紙を封じるときに
粘土などの上に押し付けるもの
彼が主の印章となるとは、
ダビデの子孫である彼が
イスラエルの王として
再び立たせてくださるという約束です。

主はダビデとの約束を
彼らの子孫の罪によって
反故にはされません。

同じように私たちに対する約束もそうです。
神の子となるために選ばれた私たちを
最後まで導いてくださるのです。

だから私たちも主に背かず
主に従って歩んでいきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの子として選ばれた者として
あなたのみことばに従って歩めますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】11月18日

これから後の栄光は[ハガイ書 2章1-9節]

この宮のこれから後の栄光は、
 先のものにまさる。
           ハガイ書 2:9

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神殿再建を進めて
約一か月後に、
再び、主はハガイを通して
リーダーと民たちを励まされる。

主の宮の再建の仕事に
取りかかりながら、
ソロモン時代に建てられた
神殿を知っている人たちは、
寂しさを感じていたのでしょう。

でも主は言われる。
「強くあれ、強くあれ」
「仕事に取りかかれ。
 わたしがあなたとともに
 いるからだ」
「わたしの霊はあなたがたの
 間にとどまっているから、
 恐れるな」

さらにこの宮を主の栄光で満たすと
約束してくださるのです。
しかも後の栄光は
先のものにまさると。

人間の目から見たら
取るに足りない、
寂しさを覚えても、
主はその宮を喜ばれる。

それは彼らの信仰が
復興したしるしであり、
もう一度、彼らを通して
ご自分の御名が
あがめられるからです。

どんなものも主が喜ばれ、
栄光を現しくださるなら、
それは先のものにまさるのです。

すべては私たちにかかっていない。
すべては主の御手の中にあり、
主の熱心によるのです。

このことを覚えつつ、
主の栄光を今日も
仰ぎ見ていくことができたら幸いです。
そしてそこに平和があるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたは日々、
私たちを新たにしてくださり、
 私たちを通して栄光を
現してくださることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】11月17日

仕事にとりかかる[ハガイ書 1章1-15節]

「わたしは、あなたがたと
  ともにいるー主のことば」
           ハガイ書 1:13

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ハガイについては
エズラ記にも登場しています。
ペルシアの王ダレイオスの
第二年にハガイを通して
主のことばが伝えられるのです。

このとき神殿再建が
中断してから
約17年経っていました。

民の中で、神殿再建するという
意気込みが薄れていた。
主の宮を建てるときは
まだ来ていないと言っていたようです。

そんな彼らに主は宮を再建せよ。
そうすればわたしはそれを喜び
栄光を現すと告げられるのです。

ここしばらく彼らは
期待した収穫が得られなかった。
それは彼らが廃墟となった
主の宮のためでした。

彼らは主の宮の再建を
そっちのけで、自分たちの家を
建てるのに忙しかった。

それに対するさばきが
飢饉でした。
主は彼らが主の宮を
再建することを
何よりも望んでおられた。

その思いを知ったイスラエル民は
主を恐れ、主の御声に聞き従う。
主は彼らを励まし、言われます。
「わたしは、あなたがたとともにいる」

これが彼らにとって何よりも
大きな力となった。
そして主がリーダーたちと
民たちの霊を奮い立たせてくださり、
主の宮に行って、仕事に取り掛かるのです。

私たちはすぐに、これは主の時ではないと
諦めたり、先延ばしにすることがあります。
でも結局は、それは自分の都合です。
主のみこころを聞いてのことではない。

主が今、何を私たちに望んでいるかを
しっかり聞きながら、主が私たちの霊を
奮い立たせてくださることを期待し、
主の仕事に取り掛かることができたら幸いです。

そのとき、主はただ私たちに
仕事を任せるのではなく、
つねに私たちとともにいてくださるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたは私たちに
何を望んでおられるでしょうか。
 どうか私たちがあなたの仕事に
取り組むことができるよう、
 私たちの霊を奮い立たせてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】11月15日

なお望みがある[エズラ記 10章1-8節]

しかし、このことについて
 イスラエルにはなお望みがあります。
           エズラ記 9:15

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エズラの涙の祈りは
人々の心を動かし、
民も悔い改め、
激しく泣くのです。

シェカンヤがエズラに
自分たちの罪を告白します。
主の信頼を裏切り、
異国の女性を妻としたこと。

でも彼はなお望みがあると。
それは罪を犯した者たちが
妻と子どもたちを追い出し、
主の律法に従うことで、
イスラエルが主の前に
正しく生きることができるから。

その思いが今、
イスラエルの上にあるので
勇気を出して
このことを実行しましょう。

こんなのひどい、異国の女性たち、
子どもたちが可哀そうだと
私たちは思います。

それは確かです。
イスラエルの罪が
異国の人たちを
巻き込んでいます。

これが罪の恐ろしさであり、
悲惨さです。
罪は人を巻き込む。
人を傷つける。

それでも、このときイスラエルは
まず主に従い、
罪を取り除こうとしたのです。

罪をそのままに、なあなあに
することはできないと知ったから。
私たちも罪に対して
徹底的に戦う必要があります。

そして罪を告白するとき、
その罪は赦され、
主の前にイエスさまによって
きよめられるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの前に真実に罪を告白し、
イエスさまによって私たちを赦してください。

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【日々のみことば】11月14日

主は正しいお方[エズラ記 9章9-15節]

イスラエルの神、主よ、
 あなたは正しい方です。
           エズラ記 9:15

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エズラは9節で、
「事実、私たちは奴隷です」と
主の前に告白します。

ユダヤ人とエルサレムは
その罪によって
ペルシア帝国の一部と
されていたのです。

でも主は彼らを見捨てられず、
主の宮を建て直し、
エルサレムで再び
住むようにされました。

けれどユダヤ人は再び
主の目に悪を行う。
主の命令を捨てて、
異国の人々と結婚するのです。

これがどれほど主を悲しませ
主の御怒りを引き起こすかを
エズラは良く分かっていました。

主は正しいお方だからです。
中途半端に何でも良いと
言われるお方ではない。
罪には厳しい。

それを分かった上で、
エズラは主の前にいくのです。
罪過を負ったまま。

なぜなら主だけが罪を赦し
罪の奴隷状態から
解放してくださるから。

私たちも本来は主の御前に
立つことも、祈ることも、
主に近づくこともできない者でした。

そんな私たちが今、主に近づき、
祈る者とされているのは
主のあわれみです。

主イエスさまが私たちの罪を
すべて負って十字架で死んで
三日目によみがえってくださったことで、
私たちの罪は赦されました。

罪の奴隷から神の子とされ、
正しい主の前に、
正しいものと認められているのです。

だからと言って完璧な人に
なったわけではありません。
日々、罪を犯します。
主の律法を捨ててしまう。

そんなとき私たちは主の前に
出ていくことに恐れを覚える。
でもエズラのように
へりくだって主に近づき、
主のあわれみを
請い求めることができたらと願うのです。

主はへりくだった私たちの祈りを
必ず聞いてくださり、
罪の縄目から日々
私たちを自由にしてくださるでしょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私たちを日々、罪の縄目から
自由にしてくださることを感謝します。

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【日々のみことば】11月13日

一本の杭[エズラ記 9章1-8節]

私たちのために
 ご自分の聖なる所に
一本の杭を与えてくださいました。
           エズラ記 9:8

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エズラに民たち、
特に彼らのリーダーたちが
罪を犯していることが
伝えられます。

彼らの罪、それは彼らが
異国の習慣に倣って、
主の忌み嫌うべきこと、
すなわち偶像礼拝に
心が奪われていたことです。

異国の人と結婚すること、
それは彼らの宗教が
イスラエルの中に
入ってくることを意味しました。

そして弱いイスラエルの民は
偶像礼拝に流されてしまう。
だからこそ異国の人との
結婚が禁じられていたのです。

それを彼らは破ってしまう。
事の重要性を分かっていなかった。
そして偶像礼拝が原因で、
捕囚されたことを忘れていた。

一方で、エズラは彼らの罪を
聞いて、茫然として座り込む。
なぜ罪が分からないのか。
なぜ主に背き続けるのか。
なぜ同じことを繰り返すのか。

その中で、エズラは主に祈る。
彼は本当だったら神さまに
顔向けできないと思う。

けれどエズラは神さまの
あわれみにすがる。
先祖たちも罪を犯し、
殺され、捕虜にされ、
面目を失った。

だけど主のあわれみによって
逃れの者を残してくださった。
主の聖なる所に一本の杭を
与えてくださった。

この聖なる所とは
主の神殿のことであり、
一本の杭はそれを建て直す
動機づけのこと。

神殿を通して
彼らの目を明るくする。
すなわち彼らの心の目が開かれ、
主を知り、主を礼拝することができる。

そして主を礼拝することは
彼らのいのちであるのです。

エズラの祈りを思い巡らして、
私は祈りの深さを教えられました。
彼は本当に罪を恥じている。

私は罪を恥じているだろうか。
罪に絶望しているだろうか。
恥じず、絶望できていない。
だから繰り返してしまう。

そのようなところに主は
一本の杭を打ち込まれる。
イエスさまの十字架という
杭を。

私たちが罪の中で、
イエスさまの十字架を
見上げるならば、
私たちの目は明るくなる。

私たちは生きる。
どれだけ愚かで、
どれだけ不信仰でも、
主は私たちをあわれんでくださる。

イエスさまの十字架は
今日も私たちの内で輝き、
父なる神さまを求め、
悔い改めへと私たちを
導いてくださるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、罪について軽く考える私をあわれみ、
罪を恥じて、主の十字架に望みをおく歩みができますように。

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【日々のみことば】11月12日

道中の無事を[エズラ記 8章21-36節]

そのため私たちは
 このことのために断食して、
自分たちの神に願い求めた。
          エズラ記 8:23

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主だけに拠り頼むことは、
本当に難しいです。
エズラはエルサレムに上るとき、
大きな不安と恐れがありました。

そのことを王さまに伝え、
自分たちを助ける部隊を
求めたら、王さまは喜んで
部隊を派遣してくれたでしょう。

でもこのときエズラは、
そのように王さまに
お願いするのを恥じた。
なぜでしょうか。

王さまに「私たちの神の御手は、
神を尋ね求めるすべての者の上に
幸いを下し、その力と怒りは、
神を捨てるすべての者の上に下る」
と証ししていたからです。

主なる神さまに信頼する幸いを
語りながら、主に頼らないことが
如何に証しにならないかを
エズラは知っていたのです。

だから彼は断食して、
必死に祈ります。
その祈りに主は答えてくださり、
道中のすべての過程を
守ってくださったのです。

私たちは自分がイエスさまを信じ
主に頼ることは素晴らしいことだと
証ししているでしょうか。

「私は主に頼り切れていないので、
 そんなことは言えない」なんて方が
もしかしたら、いらっしゃるかもしれません。

実は主を証しして、
自分がキリスト者であると
言い表すことは
自分を守ることになり、
主を求める力となるのです。

それは自分の行いを
変えなければなりませんし、
必死に祈るようになるからです。

だれにも証しせずに
自分だけの信仰だったら、
楽でしょう。

それは主が喜ばれることではない。
だからこそ私たちは常に
主に信頼し、主のみを
呼び求めることができるように
主を証しして、主を信じる者は
本当に幸いなのだと語り続けていく。

そうすることで私たちの信仰は
増し加えられ、熱心に祈り求めて、
主の恵みを味わうことになるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたを信じ、
主イエスさまの恵みを待ち望む幸いに
 ついて証しすることができますように。

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【日々のみことば】11月11日

レビ人を集める[エズラ記 8章1-20節]

私たちの神の恵みの御手が
 私たちの上にあったので、
          エズラ記 8:18

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エズラはエルサレムに上るにあたり、
ユダヤ人の各部族のリーダーたちに
ともに上って行くように声をかける。

それに彼らは応答し、
部族の中から多くの同行者をともない
エズラとともに上るのです。

その途上、三日間滞在しますが、
そのとき、その集団にレビ人が
いないことに気づきます。

これは主の宮で礼拝を
ささげるうえで
大きな問題でした。

そのためエズラは人々を遣わし、
レビ人を送ってくれるように
お願いするのです。

これにレビ人が応答し、
220名が集まってきます。

モーセの律法に従って、
主を礼拝するために
必要な人を集める。
これはふさわしいことでした。

最初、レビ人たちは
エズラと一緒に上って行かない。
今、与えられているところから
離れることに躊躇があったのでしょう。

でもエズラの熱心と、
主の働きかけによって
彼らは心を動かされ、
エルサレムに上ってきます。

同じように私たちが主を礼拝し、
主の福音を宣教するために
必要な人が備えられるよう、
お祈りすることは大切でしょう。

人を送ってくださるのも
神さまです。
今、私たちの教会に
必要な人はどんな人でしょう。
このことを考え、
具体的に祈ることも大切だと思うのです。

一方で人間的な願いではなく、
主の福音宣教のために
という視点を忘れてはならない。

ともに祈りつつ、
主が送ってくださるのを
期待して待ち望むことが
できたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたを礼拝し、
福音宣教のために必要な方を送ってください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。