一つに集める[ミカ書 2章1-13節]
わたしは、あなたを
必ずみな集め、
イスラエルの残りの者を
必ず呼び集める。
ミカ書 2:12
*聖書をお持ちでない方は
以下のページをご覧ください。
朗読も聴くことができます。
https://prs.app/ja/bible/mic.2.jdb
権力者たちが弱い立場の
人たちから搾取する。
このことのさばきが
主によって言い渡されます。
そのさばきの預言を聞いた
権力者たちはミカに
「戯言を言うな」と
戯言を言うのです。
彼らは自分たちに災いが
下るはずがないと思っています。
そして主の敵として立ち上がり、
さらに悪を重ねていくのです。
そんな好き勝手する民を
主は必ずみな集める。
羊のように一つに集めると
約束されるのです。
そして主が彼らの
先頭を進まれる。
ずっと自分勝手に歩ませ
罪の中にとどめることはない。
これこそ主の愛であり、
主のあわれみです。
主はどれほど背いても、
私たちを見捨てられません。
私たちを呼び集めてくださる。
そして私たちの先頭を進み、
私たちを導いてくださるのです。
これこそ主の熱心。
私たちの熱心は直ぐ冷めます。
でも主の熱心は冷めることなく、
私たちに注がれ続けているのです。
今日も主は私たちを呼び集め、
ご自分の囲いの中に私たちを
おいてくださいます。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、私たちを呼び集め、
囲いの中でかくまってくださることを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
21日の礼拝も、高松シオン教会の浜ノ町会堂をお借りし、礼拝をおささげします。
駐車場はありませんので、民間のパーキングをご利用ください。
9時30分より ”イズミンキッズ” です。
10時30分より ”主日礼拝” です。
*YouTubeでのライブ配信もします。
→ こちらよりご参加ください。
神の愛のうちに[ユダの手紙 1章17-25節]
神の愛のうちに自分自身を保ち、
永遠のいのちに導く、
私たちの主イエス・キリストの
あわれみを待ち望みなさい。
ユダ 1:21
*聖書をお持ちでない方は
以下のページをご覧ください。
朗読も聴くことができます。
https://prs.app/ja/bible/jud.1.jdb
終りの時に、嘲るものが現れ
自分の不敬虔な欲望のままに
ふるまうとあります。
それらに惑わされることなく、
聖なる信仰の上に
自分自身を築き上げ、
聖霊によって祈るように
命じられているのです。
また神さまの愛のうちに
自分自身を保つようにと。
私たちは自分自身のことを
あまり深く考えない。
自分に甘い部分があります。
そして人の欠け、悪ばかりが
目に付き、人を変えようとする。
そうではなく、自分自身を
聖い信仰の上に築き上げ、
自分自身を神さまの愛のうちに
保っていく。
主から離れず、主につながり、
主によって変えていただき、
主への信頼を増し加えていく。
そうすることで私たちは、
人をさばく者、罪に定める者ではなく、
人をあわれみ、火の中から救い出し、
神さまを恐れつつあわれむことができる。
また主イエスさまは私たちを
つまずかないように守り、
傷のない者として大きな喜びとともに
栄光の御前に立たせてくださる。
この素晴らしい約束があるので、
私たちは日々、自らを吟味し、
歩んでいくことができたら幸いです。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、もっとも聖い信仰の上に、
自分自身を築き上げていけますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
愛餐のしみ[ユダの手紙 1章1-16節]
この人たちは、あなたがたの
愛餐のしみです。
恐れる心もなく一緒に
食事をしますが、
自分を養っているだけです。
ユダ 1:12
*聖書をお持ちでない方は
以下のページをご覧ください。
朗読も聴くことができます。
https://prs.app/ja/bible/jud.1.jdb
今日と明日は、ユダの手紙です。
このユダはイエスさまの
兄弟であると言われています。
ユダは教会の中で蔓延していた
偽物の教えについて、
警告を与えているのです。
旧約時代から主に逆らい、
自分の領分を守らなかった
ものたちを主は滅ぼされました。
それと同じように、
偽の教師たちは
夢想にふけり、肉体を汚し、
主の権威を認めないのです。
このように好き勝手にする
人たちは愛餐のしみだと
ユダは厳しく戒めます。
結局、主のことを思わず、
自分のことばかりを思い、
自分を養っているのです。
自分の欲望のままにいき、
自分の利益のために
人々にへつらう。
私たちにも、このような弱さ
罪があるのではないでしょうか。
全てのことを主を中心に
主のためにしているか。
自分の欲望のままにいき、
それによってつまずきを与え、
主の栄光を奪っていないか。
このような罪に気づかせ、
私たちが悔い改めて、
主を思い、主のために生きるために
イエスさまはこの地上に来てくださいました。
このイエスさまの恵みを覚え、
真に悔い改め、御霊の助けによって
主のために生きることができますように。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、自らの身勝手さを悔い改め、
主のために生きる私たちとさせてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
主が好まれる人[詩篇 147篇1-20節]
主を恐れる者と
御恵みを待ち望む者とを
主は好まれる。
詩篇 147:11
*聖書をお持ちでない方は
以下のページをご覧ください。
朗読も聴くことができます。
https://prs.app/ja/bible/psa.147.jdb
1節で「われらの神にほめ歌を
歌うのは良い」とあります。
神さまを賛美するのは、
私たちの心と身体を強めます。
私たちの心を喜ばせるのです。
でも、いつも主を
ほめたたえられるわけではありません。
そんな中でも、主を思い、
主の素晴らしさを思い巡らす。
主は国を建てられる。
一方で、人々を散らされる。
けれどもう一度集められ、
打ち砕かれた者を癒やし、
彼らの傷を包まれるのです。
今年一年振り返ってみても、
本当に主は私たちに偉大なことを
たくさんしてくださいました。
それは私たちの行い、
信仰深さによるのではありません。
主の一方的な恵みであり、
あわれみに他ならないのです。
そして主が何よりも好まれるのは
ご自分を恐れ、
御恵みを待ち望む人々です。
自分の行いを誇り、
主を無視する人々を
主は退けられます。
主への恐れ、
それは神さまを唯一の神と
告白し、主のみに仕えること。
私たちは主のみに
仕えることが難しい。
自分をほめ、他のものを
賛美してしまう弱さがある。
だから主は私たちにみことばを与え
みことばに生きるように、
私たちを励まし、
チャレンジを与えられるのです。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたをほめたたえることで、
私たちの心もたましいも元気になると信じます。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
とこしえに統べ治める[詩篇 146篇1-10節]
主は捕らわれ人を解放される。
詩篇 146:7
*聖書をお持ちでない方は
以下のページをご覧ください。
朗読も聴くことができます。
https://prs.app/ja/bible/psa.146.jdb
私たちは誰を頼みとして、
誰に望みをおいているでしょうか。
多くの場合、目に見える人に頼り、
望みをおいてしまう。
人のことばに左右され、
人の顔色ばかりを見てしまう。
でも人のいのちは主の御手の中にあり、
主の計画だけがなるのです。
頼り、恐れるべきは人ではなく、
天地万物をつくられ、
いつも真実を守られる主。
虐げられている者、
飢えている者、
捕らわれ人を顧み、
解放してくださる主。
それにしてもなぜ私たちは
主なる神さまを助けとし、
主に望みをおけないのでしょうか。
それは自らが虐げられ、
飢え、捕らわれていると
気づいていないからではないか。
自分で、どうにか生きられる、
上手く乗り切れると感じ、
砕かれていないから。
結局、主が統べ治められている
ことを受け入れていない。
これが大きな問題でしょう。
主に頼るには、
自分を捨てて、主に従う。
どうか今日もキリストに従い、
キリストを助けとし、
主の望みをおけますように。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたの前にへりくだり、
自分を捨て、あなたに従えますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
主は近くにおられる[詩篇 145篇1-21節]
主は倒れる者をみな支え
かがんでいる者をみな起こされます。
詩篇 145:14
*聖書をお持ちでない方は
以下のページをご覧ください。
朗読も聴くことができます。
https://prs.app/ja/bible/psa.145.jdb
詩篇の記者は主を心から
ほめたたえます。
8節で「主は情け深く あわれみ深く
怒るのに遅く 恵みに富んでおられます」と
告白するのです。
日々の自分の歩みを振り返り、
自分が今、生かされているのは
ただ主のあわれみだと
彼は心から信じていた。
私たちの日々犯す罪に
主が一つ一つ目を留められていたら、
主の怒りを受けて、滅びても当然。
でも主は怒るのに遅い。
主は私たちの罪に対して忍耐し、
私たちが立ち返るのを
ずっと待ってくださる。
それだけではありません。
主は人生の荒波の中で倒れ、
かがんでいる私たちを支え、
起こしてくださいます。
主の支え、主の励まし、
主の助けが私たちの生きる力。
さらに18節には「主は呼び求める者すべて
まことをもって主を呼び求める者
すべてに主は近くあられます」とあります。
主は主を呼び求める者を
決して見捨てられない。
主は私たちの近くにおられ、
ともに歩んでくださるのです。
だから私たちは安全。
平安をいただく。
たとえ嵐の只中でも。
この主への信頼をもって
今日も主を呼び続けていきましょう。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたを呼ぶ私たちの近くに
おられることを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
人とは何ものか[詩篇 144篇1-15節]
主よ 人とは何ものなのでしょう。
あなたがこれを知っておられるとは。
詩篇 144:3
*聖書をお持ちでない方は
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朗読も聴くことができます。
https://prs.app/ja/bible/psa.144.jdb
主なる神さまは私たちの恵み
救い主、盾、避け所。
けれど私たちを
ただ守ってくださるのではなく、
私たちを鍛えてくださいます。
私たちを救われた私たちを
主はキリストの似姿に
変えてくださるために
訓練をしてくださるのです。
これは主が私たちに関心を持ち、
私たちを顧みてくださる
確かなしるしです。
一方で、詩篇の記者は
自らの力で主の訓練に耐え忍び
成長できるとは考えていません。
「あなたの天を押し曲げて
降りて来てください」
「いと高き所から
あなたの御手を伸べ」
と祈るのです。
主の助けと救いを
心から待ち望みます。
彼にとっての幸いは
自分が救い出されたり、
恵みに満たされる
ことだけではありません。
「主を自らの神とする」こと。
主を知り、主を頼みとする。
これが何よりも大きな
幸いだと告白するのです。
私たちはどうでしょうか。
主を知っていること、
主こそが私の神と
なってくださっていること
これが喜びとなっているでしょうか。
私自身、すぐに自分が神となり、
神さまが主である恵みを
忘れてしまう。
主なる神さまを中心に
生きる歩みこそ
私にとって幸いだと
告白することができたらと
心から願いします。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたがこんな小さな
欠けだらけの私たちに目を留め、
私たちの神となってくださっていることを
感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
14日の礼拝も、高松シオン教会の浜ノ町会堂をお借りし、礼拝をおささげします。
駐車場はありませんので、民間のパーキングをご利用ください。
9時30分より ”イズミンキッズ” です。
10時30分より ”主日礼拝” です。
*YouTubeでのライブ配信もします。
→ こちらよりご参加ください。
あなたこそ避け所[詩篇 142篇1-7節]
あなたこそ私の避け所
生ける者の地での
私の受ける分。
詩篇 142:5
*聖書をお持ちでない方は
以下のページをご覧ください。
朗読も聴くことができます。
https://prs.app/ja/bible/psa.142.jdb
この詩篇はダビデが
サウルに追われ、
洞窟に隠れていた時に
祈られたものでしょう。
ダビデは自分の嘆きを
主の前にすべて吐き出します。
それは主が彼の道を
良く知っておられると
信じていたからです。
彼の道は決して楽ではなく、
罠が仕掛けられ、
だれも気にかけてくれない、
そんな苦しみの多い道。
けれど主だけが彼の避け所、
主を知り、主に知られていることが
彼の唯一の慰めであり、救い。
彼は暗闇と恐怖にとらわれていました。
その所から助け出して欲しいと
切に祈るのです。
それは彼自身のためというよりも
そのことを通して彼が
主の御名に感謝するため。
そして主がダビデに
良くしてくださることを通して
主の栄光が現わされ、
ダビデのもとに集まってくる。
私たちの人生もまた
常に順調ではないでしょう。
でも主は私たちの道を
良く知っておられる。
そして主だけが
私たちの避け所であり、
私たちの救い。
このことを忘れず、
主が助けてくださったときに、
主の御名に感謝することが
できますように。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたがしてくださった
一つ一つのことを覚え、
あなたの御名に感謝できますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。