聞くことができる幸い[マタイ 13:1-17]
しかし、あなたがたの目は
見ているから幸いです。
また、あなたがたの耳は
聞いているので幸いです。
マタイ 13:16
イエス様は種が、
どこの地に落ちるかによって
その種の成長の具合が違うという
たとえを群衆に語られます。
それを聞いた弟子たちが
イエス様になぜたとえで
語るのかと質問するのです。
それに対してイエス様は
群衆にたとえで話すのは
彼らが見ても見えず、聞いても聞かず
悟ることもしないからだと答えられます。
一方、弟子たちには
彼らが見えているし、
聞くことができていると
言われるのです。
今、私たちも主によって
見る目が与えられ、
聞く耳が与えられています。
けれど、そのことに甘んじて、
自ら見よう、聞こうとしないなら、
私たちの霊的な目、耳は
閉ざされてしまうのです。
ですからいつでも目を覚まし、
「主よ、お語りください。
しもべは聞いております」と
祈っていきましょう。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、どうか私たちが霊的な目を覚まし続け、
あなたの御声を聞き続けることができますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。


