神のねたみを[民数記 25:1-18]
それは、彼が神のねたみを自分のものとし、
イスラエルの子らのために
宥めを行ったからである。
民数記 25:13
イスラエルの民は、どれほど主に祝福されても
主に逆らい続けることをやめません。
そして主が一番嫌われる、
偶像礼拝の罪を犯すのです。
それに対して主は怒り、
バアル・ペオルとくびきを
ともにした者たちを殺すように
命じられます。
そのような緊迫した状況にもかかわらず
一人のイスラエル人がミディアン人の女を
連れて来るのです。
その二人をピネハスが殺します。
そのとき主の罰が終わるのです。
主はピネハスがご自分のねたみを
自分のねたみにしたことで、
イスラエルを絶ち滅ぼさなかったと告げられます。
主が望まれることは、
ご自分と同じ気持ちになること。
主の喜ばれること、悲しまれることは
何かを考えて行動すること。
私は、主の望み、ねたみ、怒りを
自分のものとしているかと
問われると答えに窮してしまいます。
自分の気持ちを主が理解し、
行動してくれることを期待していますが、
主の心を自分の心として
行動していないような気がするのです。
今日一日、主が何を喜ばれ、
何を悲しまれているかを考えて
行動できるよう、お祈りしていきましょう。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたの心を私の心として
行動できますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。


