【日々のみことば】11月13日

一本の杭[エズラ記 9章1-8節]

私たちのために
 ご自分の聖なる所に
一本の杭を与えてくださいました。
           エズラ記 9:8

*聖書をお持ちでない方は
 以下のページをご覧ください。
 朗読も聴くことができます。
 https://prs.app/ja/bible/ezr.9.jdb

エズラに民たち、
特に彼らのリーダーたちが
罪を犯していることが
伝えられます。

彼らの罪、それは彼らが
異国の習慣に倣って、
主の忌み嫌うべきこと、
すなわち偶像礼拝に
心が奪われていたことです。

異国の人と結婚すること、
それは彼らの宗教が
イスラエルの中に
入ってくることを意味しました。

そして弱いイスラエルの民は
偶像礼拝に流されてしまう。
だからこそ異国の人との
結婚が禁じられていたのです。

それを彼らは破ってしまう。
事の重要性を分かっていなかった。
そして偶像礼拝が原因で、
捕囚されたことを忘れていた。

一方で、エズラは彼らの罪を
聞いて、茫然として座り込む。
なぜ罪が分からないのか。
なぜ主に背き続けるのか。
なぜ同じことを繰り返すのか。

その中で、エズラは主に祈る。
彼は本当だったら神さまに
顔向けできないと思う。

けれどエズラは神さまの
あわれみにすがる。
先祖たちも罪を犯し、
殺され、捕虜にされ、
面目を失った。

だけど主のあわれみによって
逃れの者を残してくださった。
主の聖なる所に一本の杭を
与えてくださった。

この聖なる所とは
主の神殿のことであり、
一本の杭はそれを建て直す
動機づけのこと。

神殿を通して
彼らの目を明るくする。
すなわち彼らの心の目が開かれ、
主を知り、主を礼拝することができる。

そして主を礼拝することは
彼らのいのちであるのです。

エズラの祈りを思い巡らして、
私は祈りの深さを教えられました。
彼は本当に罪を恥じている。

私は罪を恥じているだろうか。
罪に絶望しているだろうか。
恥じず、絶望できていない。
だから繰り返してしまう。

そのようなところに主は
一本の杭を打ち込まれる。
イエスさまの十字架という
杭を。

私たちが罪の中で、
イエスさまの十字架を
見上げるならば、
私たちの目は明るくなる。

私たちは生きる。
どれだけ愚かで、
どれだけ不信仰でも、
主は私たちをあわれんでくださる。

イエスさまの十字架は
今日も私たちの内で輝き、
父なる神さまを求め、
悔い改めへと私たちを
導いてくださるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、罪について軽く考える私をあわれみ、
罪を恥じて、主の十字架に望みをおく歩みができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。