労苦の実[ヨハネの福音書 4章27-42節]
「わたしの食べ物とは、
わたしを遣わされた方の
みこころを行い、
そのわざを成し遂げることです。
ヨハネ 4:34
*聖書をお持ちでない方は
以下のページをご覧ください。
朗読も聴くことができます。
https://prs.app/ja/bible/jhn.4.jdb
弟子たちはイエスさまが
サマリアの女性と
話しているので、大変驚く。
それ以上の驚きは、
イエスさまが食事をとろうとせず、
「わたしには、あなたがたの
知らない食物があります」と
話されたことでした。
イエスさまの食べ物
それは父なる神さまの
みこころを行い、
それを成し遂げること。
父なる神さまのみこころ。
それは全ての人が救われて
真理を知るようになること。
そして私たちに委ねられた
使命は、色づいてる実を
刈り入れること。
一方で、その実は自分たちが
労苦したのではないものだと
イエスさまは語られるのです。
一人の人が救われること、
それは一教会、一牧師の
努力の賜物ではありません。
多くの人の祈り、働きかけ、
労苦がそこにあった。
みことばを蒔き、
キリストを告白し、
父なる神さまの愛を
あかしする人々がいた。
私たちはともすると
刈り取り、実を見て、
様々な判断をしてしまう。
だからその背後にある労苦にも
目をとめ、刈り取る側に
なったときは、心から感謝して
刈り取らせていただく。
さてサマリアの女性は
自分が大切にしていた、
自分の渇きを癒やす
水がめを置いたまま
町に帰っていきます。
そして町の人々にあかしする。
「来て、見てください」
一番のあかしは、人々を
イエスさまところにお連れすること。
また彼女は自分に起ったことを
人々に語るのです。
それを聞いた人たちは
イエスさまのところにやってくる。
そこで彼らはイエスさまの
話を聞いて、イエスさまを
信じるのです。
大切なのは、
彼らが証言しているように
「自分が聞いて、この方が
本当に世の救い主だと分かった」という点。
人から聞いて信じる段階から
自分で聞いて、悟る段階へと。
人の信仰から、自らの信仰へ。
私たちが主の恵みを
分かち合っている人たちが、
自らの信仰として
イエスさまを受け入れ
イエスさまを通して、
父なる神さまに立ち返ることができるよう
ともにお祈りし、あかしし続けることが
できたら幸いです。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたの素晴らしさを証しして、
あなたのもとに連れてくることができますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。


