【日々のみことば】4月15日

あなたがたの神となる[出エジプト記6:22-13]

わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、
 わたしはあなたがたの神となる。
あなたがたは、わたしがあなたがたの神、
 主であり、あなたがたをエジプトの
苦役から導き出す者であることを知る。
              出エジプト6:7

モーセはすぐに民たちを救い出されない
主に向かって叫びます。
それに対して、主はすぐに答えてくださるのです。
「わたしがファラオにしようとしていることが今に分かる」

そして力強いみことば、約束を与えてくださいます。
救い出し、贖い、取ってわたしの民とする。
約束の地に連れて行き、所有地として与える。
それを聞いた民はどうだったでしょうか。

失意と激しい労働のために、現実のことと思えない。
全く主に期待していないのです。
それでも主はモーセを通して、
事を一つひとつ進めてくださいます。

私たちにも素晴らしいみことばが与えられています。
けれど現実に心が捕らわれ、
みことばの約束の確かさに、
全く信頼できないときがあるのです。

私たちを救い出して下さったお方は、
私たちをずっと導き、贖い出して下さるのに、
失意と混乱の中で、主の恵みを
忘れてしまいます。

そんな私たちの不信仰を主は赦され、
ご自身のみこころを成し遂げてくださるのです。
私たちは揺れ動き、揺さぶられます。
けれど私たちの主は堅く立って
私たちを導いて下さるのです。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 不信仰な私たちをあわれんでくださり、
あなたのみことばに信頼する者としてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月14日

状況が悪化する中で[出エジプト記5:1-21]

彼らは言った。「ヘブル人の神が私たちと
 会ってくださいました。
どうか私たちに荒野へ三日の道のりを行かせて、
 私たちの神、主にいけにえを
献げさせてください。・・・
              出エジプト5:3

モーセとアロンは主のみこころを伝えるために
ファラオのもとに行きます。
けれど彼は「主とは何者だ。
・・・私は主を知らない」と言うのです。

それだけではありません。
このことによってイスラエルの民を
さらに苦しめるのです。
このことでイスラエルの民は、
モーセたちを恨みます。

モーセたちは主のみこころに従ったのです。
でも状況は悪化し、同胞から恨まれる。
とても理解できない状況です。
けれどこれもまた主のみこころでした。

主の使命に従うことは、
簡単ではありません。
上手くいっていないように
感じることもあるのです。

じっと耐え忍ばなければならない、
そんな時もあることでしょう。
でも主の使命に従う私たちと、
主はともにいてくださいます。

脱出の道は用意され、
主のみこころは必ずなるのです。
このことを信じ、
今日も主の使命に生かされていけたら幸いです。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 あなたのみこころは必ずなると信じ、
歩むものとしてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月13日

民は信じた[出エジプト記4:18-31]

民は信じた。彼らは、主が
 イスラエルの子らを顧み、
その苦しみをご覧になったことを聞き、
 ひざまずいて礼拝した。
           出エジプト4:31

モーセはいよいよエジプトに向けて出発します。
彼の手には神の杖があるのです。
主の励ましと導きのことばも与えられます。
でもその歩みは決して順調ではないのです。

彼は主に殺されかけます。
全く予想外のことです。
主の召しに答えて一歩踏み出したのに、
なぜでしょうか。

主は古いモーセを殺し、
新しいモーセとして立たせよう
とされたのではないか。
彼は古い自分に死ぬ必要がありました。

私たちもバプテスマによって、
古い自分に死に、
キリストにあって新しい自分として
主のために生きる者とされたのです。

主は自分に死に、
キリストにあって生きる私たちを
今日も遣わしてくださり、
主のご用のために用いてくださいます。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 私がキリストにあって死に、
キリストにあって生きる者とされていることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月12日

手に持っているものは[出エジプト記4:1-17]

また、あなたはこの杖を手に取り、
 これでしるしを行わなければならない。
           出エジプト4:17

モーセは、なおもしるしを求めます。
そうすると主は、モーセが持っている
杖や手によってしるしを行われるのです。

それでも彼は自分の弱さ・欠点をあげて、
主の使命を果たすのは無理だと答えます。
もう他の人を遣わしてほしいと。

このように、どれだけ主のみわざを見ても、
体験しても主に信頼しないモーセに、
主は怒りが燃え上がります。
けれど主は彼を決して離しません。

アロンの存在を思い出させるのです。
そして彼とともに遣わされます。
このように主がモーセに与えられたものは
彼が以前から与えられていたものでした。

それを主が用いられたのです。
私たちにも主の使命、主の働きをするための
すべてのものは与えられています。
でも、それに気づかないのです。

これがない、あれがない、
心配や不安ばかりが優先してしまうからです。
そんな私たちの目を主は開いてくださいます。
今日も主は問われます。

「あなたが手に持っているものは何か」
どのように答えるでしょうか。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 私に与えられているものを悟る心を与えてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。