義の樫の木[イザヤ書61:1-11]
彼らは、義の樫の木、栄光を現す、
主の植木と呼ばれる。
イザヤ61:3
ルカの福音書4章でイエス様は、
この61章のみことばに目を留められ、
「あなたがたが耳にしたとおり、今日、
この聖書のことばが実現しました」と
おっしゃられました。
イエス様は傷つき、心が貧しく、
罪の奴隷であった私たちを
癒やし、解放するために、
父なる神様に遣わされたのです。
そして実際、主は私たちを救い、
悲しむ私たちを慰め、
私たちの嘆きを喜びに、
憂いを賛美に変えてくださいました。
それだけでなく私たちは
主の義をまとい、
主の栄光を現わす者とされたのです。
この恵みを今日一日味わってまいりましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、今日一日あなたの栄光を
現わすことができますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
永遠の光[イザヤ書60:1-22]
主があなたの永遠の光となり、
あなたの嘆き悲しむ日が終わるからである。
イザヤ59:16
主に背き続けたイスラエルの民は、
闇の中を歩んでいました。
主の激しい怒りによって、
打たれたのです。
そんな彼らの上に光が輝き、
イスラエルの民は救われ、
贖われました。
そして彼らの回復が預言されるのです。
この回復の預言は、黙示録にも
記されています。
主が私たちの永遠の光となり、
嘆き悲しむ日が終わる。
この世にある間、
私たちは様々なことで
思い悩みます。
闇の中を歩んでいるように
感じることがあるのです。
けれど主は私たちの光として、
私たちを照らし、
私たちを導き続けてくださいます。
さらに私たちには
義の宿る新しい天と新しい地が
備えられているのです。
そこは悲しみも、叫び声も、
苦しみもありません。
この新しい天と新しい地を
心から待ち望んでまいりましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、あなたが私たちの永遠の光です。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
聖書箇所:イザヤ書55章1-13節
タイトル:豊かに赦してくださる主
9時30分より ”イズミンキッズ”
10時30分より ”主日礼拝” が持たれます。
*YouTubeでのライブ配信もします。
→ こちらよりご参加ください。
主の御腕[イザヤ書59:1-21]
それで、ご自分の御腕で救いをもたらし、
ご自分の義を支えとされた。
イザヤ59:16
私たちの罪によって、
私たちの叫びは主に届かず、
悪に悪を重ねるしかありませんでした。
そんな苦しみから救われることを願いながら、
誰もとりなしてくれる人がいなかったのです。
そんな私たちを主はあわれんでくださり、
主の御腕を伸ばされます。
そしてご自身の義を支えとされるのです。
この主の御腕による救い、
ご自身の義は、主イエス様によって
もたらされました。
このイエス様は暗闇の中で
光として輝いてくださり、
私たちはイエス様によって
父なる神様に立ち返ることができたのです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、あなたの御腕によって救われたことを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
主の喜ばれること[イザヤ書58:1-14]
飢えた者に心を配り、
苦しむ者の願いを満たすなら、
あなたの光は闇の中に輝き上り、
あなたの暗闇は真昼のようになる。
イザヤ58:10
主なる神様は身勝手で、自分本位の礼拝、
信仰的な行いを退けられます。
主が望まれるのは、主があわれみ深いように、
私たちもあわれみ深くあること。
自分の好むやり方ではなく、
主を第一として主を喜ぶこと。
心に刺さるみことばです。
私自身、自分の行いを主に
認めてもらおうとしています。
こんなに主のためにしているのに、
なぜ主は答えてくださらないのだろうかと
考えることがあるのです。
そんな私に今日の箇所は、
自分を誇ること、自分の善行を捨て、
主の喜ばれることは何か、
主を中心に考えるように語られます。
明日は主の聖日です。
これを尊んで、自分の道を行かないとは、
どういうことであるか、
しっかり吟味していけたらと願います。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、あなたが喜ばれることを選び取る者とさせてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
主の癒し[イザヤ書57:14-21]
平安あれ。遠くの者にも
近くの者にも平安あれ。
わたしは彼を癒やす。
イザヤ57:19
主なる神様は高慢な者たちではなく、
砕かれた、へりくだった者たちと
ともにいてくださいます。
しかし多くの人は主に背いて、
自分の思う道に行くのです。
そんな彼らを主は打たれます。
けれど打たれると同時に、
彼らを癒やしてくださるのです。
そして平安を与えられます。
私たちも自分の思う道に
すぐに行ってしまうのです。
このような私たちを主は導き、
癒やしてくださいます。
平安を与え、赦してくださるのです。
今日も主は私たちを導き、
砕かれた私たちとともにおられます。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、あなたの癒やしを心から感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
だれを恐れるか[イザヤ書56:9-57:13]
あなたは、だれにおじけ、だれを恐れて、
まやかしを言うのか。
あなたはわたしのことを思い出さず、
心にも留めなかった。
わたしが久しく黙っていたので、
わたしを恐れないのではないか。
イザヤ57:11
イザヤはイスラエルの民が
まことの神様を捨てて、
異教の神々に仕えていることを
非難します。
彼らが恐れるべきお方は、
まことの神様なのに、
彼らはまことの神様を忘れ、
心にも留めません。
それに対して主なる神様も、
忍耐され、沈黙されていたので、
彼らはさらに主を恐れず、
他の神々に助けを求めるのです。
私たちは自分が主を忘れないと
思っています。
ほかの神々に助けを求めるなど、
あり得ないと考えるのです。
けれど私たちは油断すると、
すぐに主を忘れてしまいます。
主以外のもので自らを満たそう、
頼り切ってしまうのです。
今日一日、主を真に恐れ、
主を第一にしているかを
吟味しながら歩むことが
できたら幸いです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、あなただけを恐れる歩みへと導いてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
祈りの家[イザヤ書56:1-8]
なぜならわたしの家は、
あらゆる民の祈りの家と呼ばれるからだ。
イザヤ55:8
主なる神様は選びの民、イスラエル人だけでなく、
主につながり、主に仕え、主を愛する
主のしもべとなった私たちに
一つの約束を与えられます。
それは主の安息を守り、
主の契約を保つなら、
「わたしの祈りの家」で
私たちを楽しませてくださること。
主は私たちの祈りを聞き、
私たちの礼拝を受け入れてくださるのです。
イエス様の時代、異邦人は救いから
除外されていると考えられていました。
異邦人たちの祈りの場は汚され、
主との交わりは断絶されていたのです。
しかしイエス様がその場をきよめられ、
祈りの家を回復して下さいました。
そのため私たちは今、祈りの家である
主のもとで憩い、主を喜び、
楽しむ者とされています。
この恵みを十分味わうことができますように。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、私たちを祈りの家に招いて下さり、ありがとうございます。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
主の思いと私たちの思い[イザヤ書55:1-13]
「わたしの思いは、
あなたがたの思いと異なり、
あなたがたの道は、
わたしの道と異なるからだ。
イザヤ55:8
私は自分の考え、行動が
何よりも最善だと考えています。
でも主の考え、思いは、
私たちとは異なると言われるのです。
主は私たちの思い、考えを
はるかに超えた素晴らしいことを
計画され、実行されます。
それは誤ることがないのです。
いや私たちが失敗だ、マイナスだと、
思うことさえ、主はプラスに変え、
主の思いを成し遂げてくださいます。
そして私たちに平安を与えられるのです。
今日も主の思いだけがなります。
ですから私たちの思いを主にゆだねて、
主を待ち望みましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、あなたの思い、道を教えてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。