9時30分より ”イズミンキッズ”
10時30分より ”主日礼拝” が持たれます。
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【日々のみことば】6月10日
アバ、父[ローマ人への手紙 8:1-17]
神の御霊に導かれる人はみな、
神の子どもです。
ローマ 8:14
罪によって肉の思いに
支配されていた私たちですが、
今、御霊に従って歩む者とされました。
また私たちのうちに御霊が
住んでおられるので、
肉の思いに従わず、
生きる者とされるのです。
このように御霊に導かれる
すべての人は、神の子ども。
ですから再び、私たちは
罪の奴隷に戻ることはありません。
「アバ、父」と叫んで、
主の助けを求めることができるのです。
しかし何も苦難がないかというと
そうではありません。
17節にあるように私たちはキリストと
苦難をともにすることになるのです。
これは栄光をキリストとともに受けるためです。
神様の素晴らしさが私たちを通して現されます。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、今、あなたのことをアバ、父と
叫ぶことができる恵みを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
【ニュースレター】2023年6月号
ニュースレター2023年6月号が発行されました。
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【日々のみことば】6月9日
だれが救い出してくれるか[ローマ人への手紙 7:14-25]
私は本当にみじめな人間です。
だれがこの死のからだから、
私を救い出してくれるのでしょうか。
ローマ 7:24
パウロは律法を知りながら、
それらを守り行っていながら
自らの内にある罪が、
どうしても解決できない。
この現実にぶつかります。
罪のからだをコントロールすることは、
私たちにはできないのです。
神様を愛し、隣人を愛するという
もっとも大切な教えでさえ、
私たちのうちに住んでいる
罪によって逆のことを行ってしまう。
この悲惨な、みじめな自分を
死のからだから、だれが
救い出してくれるだろうかと
パウロは叫びます。
そして25節で、光を見るのです。
「私たちの主イエスを通して、
神に感謝します」
みじめで、死のからだから
救い出してくれるお方は
イエス様しかいないと。
すぐに自分を誇り、
自分の力に拠り頼んでしまう私たち。
でも私たちの救いはイエス様にあることを
もう一度覚えたいと願います。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、みじめな私たちをあわれみ、
イエス様にあって救い出してくださったことを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
【日々のみことば】6月8日
新しい御霊[ローマ人への手紙 7:1-13]
古い文字にはよらず、
新しい御霊によって
仕えているのです。
ローマ 7:6
パウロはキリストとともに死に、
キリストとともに生きる者とされたので
律法から解かれたと語ります。
そして新しい御霊によって私たちは
神様に仕えることができるのです。
けれど律法は罪であったり、
悪いものではありません。
聖なるもの、正しく、良いもの。
ですから律法が私たちに
死をもたらしたのではなく、
罪のゆえです。
律法はイスラエルの民が
主なる神様の祝福の中に
とどまるために与えられたのです。
でも罪ゆえに彼らは律法を守れず、
主の祝福から遠ざかろうとします。
それが彼らに死をもたらしたのです。
私たちに今、新しい戒めが
与えられています。
それは互いに愛し合うという戒め。
これを守るのは強制されてではなく、
新しい御霊によって、私たちは
互いに愛し合うことができるのです。
このように愛し合うとき、
私たちは主なる神様の
恵みの中にとどまり、
いのちの道を歩むものとされます。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、新しい御霊によってあなたに
仕えることができる幸いを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
【日々のみことば】6月7日
神の賜物[ローマ人への手紙 6:15-23]
罪の報酬は死です。
しかし神の賜物は、
私たちの主キリスト・イエスにある
永遠のいのちです。
ローマ 6:23
パウロは私たちがかつて、
罪の奴隷であったと断言します。
罪に支配され、
罪に全く従っていたのです。
けれど今、私たちは義の奴隷、
神の奴隷とされています。
神様の恵みの下にある者とされ、
神様に喜ばれる歩みをするのです。
私たち、罪の奴隷であった時、
私たちの報酬は死でした。
神様との関係が断絶され、
神様に近づくことができなかったのです。
今、神の奴隷、神様の支配の中にある
私たちの賜物は永遠のいのちです。
神様との関係が回復し、
神様に近づくことができるようになりました。
神様に近づくとは、神様に祈り、
神様の恵みに感謝する生き方でしょう。
罪の奴隷から解放し、神様のしもべとして
生かされていることを感謝できたら幸いです。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、今、私たちにイエス様にある
永遠のいのちを与えてくださり、感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
【日々のみことば】6月6日
キリストともに生きる[ローマ人への手紙 6:1-14]
あなたがたもキリスト・イエスにあって、
自分は罪に対して死んだ者であり、
神に対して生きている者だと、認めなさい。
ローマ 6:11
パウロは直前の箇所を引用して、
恵みが増し加わるために、
罪にとどまるべきかと問うのです。
そんなことはありません。
それは私たちの古い人は、
キリストとともに十字架につけられ、
罪のからだが滅ぼされたからです。
そしてイエス様がよみがえられたように
私たちは新しいいのちに歩む者とされています。
だからこそ私たちはなおも罪に支配されて
罪にとどまり続けることはないのです。
これを認めることが
私たちの歩みには大切でしょう。
自分は罪に対して死に、
神に対して生きている。
このことを意識して歩むとき、
私たちは罪に支配されず、
キリストの恵みによって
大胆に父なる神様に近づけるのです。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、私が自分の罪に対して死に、
あなたに対して生きていることを認めます。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
【日々のみことば】6月5日
恵みが満ちあふれる[ローマ人への手紙 5:12-21]
律法が入って来たのは、
違反が増し加わるためでした。
しかし、罪の増し加わるところに、
恵みも満ちあふれました。
ローマ 5:20
アダムが神様の命令を破って
すべての人が罪に支配されました。
一方、イエス様が父なる神様に
死に至るまで従順であったことで、
私たちは義とされたのです。
それにしても律法によって
違反が増し加わるとは、
どういうことでしょうか。
それは律法の意味を知れば知るほど、
自らの罪深さが明らかになる。
そして主の前に自分は正しく生きられない
と悟るということです。
このように自らの罪に
向き合うだけだったら、
私たちは本当に惨めになります。
生きるのが辛くなるはず。
けれど罪を悟るところに、
恵みも満ちあふれると
パウロは語ります。
これは自らの罪深さを知れば知るほど、
イエス様の十字架の死と復活による
恵みの大きさが迫ってくるからです。
だからこそ私たちは恐れることなく
自らの罪と向き合うことができるのです。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、罪の増し加わるところに
恵みも満ちあふれることを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
6月第一主日礼拝説教2023年6月4日
聖書箇所:ローマ人への手紙5章1-5節
タイトル:希望は失望に終わらない
6月第一主日聖餐礼拝のご案内(6月4日)
9時30分より ”イズミンキッズ”
10時30分より ”主日礼拝” が持たれます。
*YouTubeでのライブ配信もします。
→ こちらよりご参加ください。