【日々のみことば】6月10日

アバ、父[ローマ人への手紙 8:1-17]

神の御霊に導かれる人はみな、
 神の子どもです。
          ローマ 8:14

罪によって肉の思いに
支配されていた私たちですが、
今、御霊に従って歩む者とされました。

また私たちのうちに御霊が
住んでおられるので、
肉の思いに従わず、
生きる者とされるのです。

このように御霊に導かれる
すべての人は、神の子ども。
ですから再び、私たちは
罪の奴隷に戻ることはありません。

「アバ、父」と叫んで、
主の助けを求めることができるのです。
しかし何も苦難がないかというと
そうではありません。

17節にあるように私たちはキリストと
苦難をともにすることになるのです。
これは栄光をキリストとともに受けるためです。
神様の素晴らしさが私たちを通して現されます。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、今、あなたのことをアバ、父と

叫ぶことができる恵みを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】6月9日

だれが救い出してくれるか[ローマ人への手紙 7:14-25]

私は本当にみじめな人間です。
 だれがこの死のからだから、
私を救い出してくれるのでしょうか。
            ローマ 7:24

パウロは律法を知りながら、
それらを守り行っていながら
自らの内にある罪が、
どうしても解決できない。

この現実にぶつかります。
罪のからだをコントロールすることは、
私たちにはできないのです。

神様を愛し、隣人を愛するという
もっとも大切な教えでさえ、
私たちのうちに住んでいる
罪によって逆のことを行ってしまう。

この悲惨な、みじめな自分を
死のからだから、だれが
救い出してくれるだろうかと
パウロは叫びます。

そして25節で、光を見るのです。
「私たちの主イエスを通して、
 神に感謝します」

みじめで、死のからだから
救い出してくれるお方は
イエス様しかいないと。

すぐに自分を誇り、
自分の力に拠り頼んでしまう私たち。
でも私たちの救いはイエス様にあることを
もう一度覚えたいと願います。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、みじめな私たちをあわれみ、

イエス様にあって救い出してくださったことを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】6月8日

新しい御霊[ローマ人への手紙 7:1-13]

古い文字にはよらず、
 新しい御霊によって
仕えているのです。
          ローマ 7:6

パウロはキリストとともに死に、
キリストとともに生きる者とされたので
律法から解かれたと語ります。

そして新しい御霊によって私たちは
神様に仕えることができるのです。
けれど律法は罪であったり、
悪いものではありません。

聖なるもの、正しく、良いもの。
ですから律法が私たちに
死をもたらしたのではなく、
罪のゆえです。

律法はイスラエルの民が
主なる神様の祝福の中に
とどまるために与えられたのです。

でも罪ゆえに彼らは律法を守れず、
主の祝福から遠ざかろうとします。
それが彼らに死をもたらしたのです。

私たちに今、新しい戒めが
与えられています。
それは互いに愛し合うという戒め。

これを守るのは強制されてではなく、
新しい御霊によって、私たちは
互いに愛し合うことができるのです。

このように愛し合うとき、
私たちは主なる神様の
恵みの中にとどまり、
いのちの道を歩むものとされます。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、新しい御霊によってあなたに

仕えることができる幸いを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】6月7日

神の賜物[ローマ人への手紙 6:15-23]

罪の報酬は死です。
 しかし神の賜物は、
私たちの主キリスト・イエスにある
 永遠のいのちです。
            ローマ 6:23

パウロは私たちがかつて、
罪の奴隷であったと断言します。
罪に支配され、
罪に全く従っていたのです。

けれど今、私たちは義の奴隷、
神の奴隷とされています。
神様の恵みの下にある者とされ、
神様に喜ばれる歩みをするのです。

私たち、罪の奴隷であった時、
私たちの報酬は死でした。
神様との関係が断絶され、
神様に近づくことができなかったのです。

今、神の奴隷、神様の支配の中にある
私たちの賜物は永遠のいのちです。
神様との関係が回復し、
神様に近づくことができるようになりました。

神様に近づくとは、神様に祈り、
神様の恵みに感謝する生き方でしょう。
罪の奴隷から解放し、神様のしもべとして
生かされていることを感謝できたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、今、私たちにイエス様にある

永遠のいのちを与えてくださり、感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】6月6日

キリストともに生きる[ローマ人への手紙 6:1-14]

あなたがたもキリスト・イエスにあって、
 自分は罪に対して死んだ者であり、
神に対して生きている者だと、認めなさい。
               ローマ 6:11

パウロは直前の箇所を引用して、
恵みが増し加わるために、
罪にとどまるべきかと問うのです。

そんなことはありません。
それは私たちの古い人は、
キリストとともに十字架につけられ、
罪のからだが滅ぼされたからです。

そしてイエス様がよみがえられたように
私たちは新しいいのちに歩む者とされています。
だからこそ私たちはなおも罪に支配されて
罪にとどまり続けることはないのです。

これを認めることが
私たちの歩みには大切でしょう。
自分は罪に対して死に、
神に対して生きている。

このことを意識して歩むとき、
私たちは罪に支配されず、
キリストの恵みによって
大胆に父なる神様に近づけるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私が自分の罪に対して死に、

あなたに対して生きていることを認めます。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】6月5日

恵みが満ちあふれる[ローマ人への手紙 5:12-21]

律法が入って来たのは、
 違反が増し加わるためでした。
しかし、罪の増し加わるところに、
 恵みも満ちあふれました。
           ローマ 5:20

アダムが神様の命令を破って
すべての人が罪に支配されました。
一方、イエス様が父なる神様に
死に至るまで従順であったことで、
私たちは義とされたのです。

それにしても律法によって
違反が増し加わるとは、
どういうことでしょうか。

それは律法の意味を知れば知るほど、
自らの罪深さが明らかになる。
そして主の前に自分は正しく生きられない
と悟るということです。

このように自らの罪に
向き合うだけだったら、
私たちは本当に惨めになります。
生きるのが辛くなるはず。

けれど罪を悟るところに、
恵みも満ちあふれると
パウロは語ります。

これは自らの罪深さを知れば知るほど、
イエス様の十字架の死と復活による
恵みの大きさが迫ってくるからです。

だからこそ私たちは恐れることなく
自らの罪と向き合うことができるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、罪の増し加わるところに

恵みも満ちあふれることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。