【日々のみことば】6月3日

望み得ない時に[ローマ人への手紙 4:13-25]

神には約束したことを
 実行する力がある、
と確信していました。
           ローマ 4:21

アブラハムはユダヤ人にとっても、
異邦人クリスチャンにとっても、
信仰の父です。

アブラハムは創世記12章で神様から召され、
その後、ずっと神様の約束のことばを信じ、
それを主が成し遂げてくださることを
待ち望みました。

その途中、様々なチャレンジがあり、
信仰が揺さぶられるような経験をしますが、
彼は主に信頼し続けたのです。

この信頼する彼を主は喜び、
彼を義と認めてくださいました。

同じように主はイエス様を
死者の中からよみがえらせた
父なる神様を信じるなら
義と認められるのです。

本来の私たちは主の前に義と
認められるような者では
ありませんでした。

けれど父なる神様が私たちに
信仰を与えてくださり、
信じて生きる道を
開いてくださったのです。

この大きな恵み、あわれみを覚え、
今日も一日、私たちのために死に渡され、
よみがえられ、今も生きておられる
イエス様とともに歩みましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イエス様が私たちのために死んで、

よみがえられたことを信じる心を
 与えてくださり、ありがとうございます。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】6月2日

働きがない人であっても[ローマ人への手紙 4:1-12]

しかし、働きがない人であっても、
 不敬虔な者を義と認める方を
信じる人には、その信仰が
 義と認められます。
            ローマ 4:5

アブラハムは主のことばを聞いて
そのことばが必ず実現すると
主に信頼しました。
それが義と認められるのです。

彼は何か信仰深いことをしたわけでも、
何も間違いをしなかったわけでもありません。
しかし主が彼を選ばれ、何の働きもなく、
不敬虔な者を義と認められたのです。

このような主の一方的な選びと
主の真実さに委ねた彼を主は
義と認められました。

私たちも主の前に無力で、
罪多き者です。
罪赦されましたが、
日々、主を悲しませてしまう。

それでも主は私たちをキリストのゆえに
義と認めてくださり、
私たちを愛し続けてくださるのです。

この主の真実さに委ねることを
パウロは繰り返し語り、
アブラハムの信仰の足跡に
倣うように励ましてくださいます。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの前に不敬虔で、

働きのない私たちを義と認めてくださり、感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】6月1日

価なしに義と[ローマ人への手紙 3:21-31]

神の恵みにより、キリスト・イエスによる
 贖いを通して、価なしに
義と認められるからです。
              ローマ 3:24

私たちが義と認められる、
神様との関係が回復するのは、
私たちの行いや人間性に
よるのではありません。

イエス様を信じることによって
信じるすべての人に
与えられるのです。

新改訳聖書2017の欄外の注には
「イエス様の真実によって」と
別訳で訳されるとあります。

イエス様が私たちのために
なしてくださった真実な行い。

すなわち父なる神様と私たちの関係が
回復するために十字架で死なれ、
三日目によみがえられたことに自らを委ねるなら、
私たちは神の義が与えられるのです。

イエス様を信じることも、
父なる神様との関係が回復することも、
私たちには決して不可能でした。

この自らの無力さにしっかり向き合い、
イエス様の真実さに委ねるとき、
父なる神様は私たちを子として
私たちを育んでくださるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イエス様がなしてくださった真実に委ねます。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。