【日々のみことば】2月25日

罪のない者が[ヨハネの福音書 7章53節-8章20節]

「わたしもあなたにさばきを下さない。
 行きなさい。これからは、
 決して罪を犯してはなりません。」
             ヨハネ 8:11

*聖書をお持ちでない方は
 以下のページをご覧ください。
 朗読も聴くことができます。
 https://prs.app/ja/bible/jhn.8.jdb

律法学者、パリサイ人が
イエスさまのところに
姦淫の場で捕らえられた
女性を連れてきます。

それはイエスさまを試し、
イエスさまに恥を
かかせるためでした。

彼らは自分たちの規律を
守ることしか頭にありません。
女性の心を思う気持ちは
全くないのです。

ただ律法に反することをしたから、
彼女は石打ちにすべきだ。
そうでしょう、イエスさまと。

ここでもしイエスさまが
彼女を罪に定め、
石打ちにすることを
良しとされたら、
イエスさまを信じている人たちも、
幻滅したことでしょう。

律法学者、パリサイ人たちと
何ら変わらず、そこに愛を
感じることはなかった。

逆に、律法を軽んじるなら、
律法学者、パリサイ人たちに
神さまの戒めを破って、
不信仰だと指摘されたはず。

このような中で、イエスさまは
何をされたか。
地面に何かを書いておられた。

何を書いておられたのかは
分かりません。
律法学者たちはイエスさまが、
問題から逃げているように
思ったのでしょう。

しつこくイエスさまに問いかける。
するとイエスさまは立ち上がって一言。
「あなたがたの中で罪のない者が、
 まずこの人に石を投げなさい」

そしてまた黙って、地面に
何かを書き続けられるのです。
このことばを聞いて、
そこにいた人たちは自問します。

それから年長者から始めて、
一人ひとり、女性とイエスさまから
離れ去っていくのです。

すべての人が自分に
罪があると分かっていた。
彼女にさばきを下す人は
誰もいなかったのです。

残されたのは全く罪のない
イエスさまと女性だけ。
そのイエスさまが
彼女に宣言されます。

「わたしもあなたに
 さばきを下さない」

イエスさまは彼女の罪を赦された。
彼女が何かしたから赦されたのですか。
彼女は何もしなかった。
ただイエスさまのところにとどまった。

私たちにとって大切なことは
イエスさまから離れず、逃げないこと。
人は私たちを責めるし、
罪に定めるかもしれない。

でもイエスさまは私たちとともにおられ
私たちに対して「わたしもあなたに
さばきを下さない」と言われるのです。

私たちの罪は赦されている。
大切なのは、罪を犯し続けないこと。
イエスさまから離れず、
イエスさまとともに生きること。

このようにイエスさまにある私たちを
だれも罪に定めることはないのです。
なんと幸いなことでしょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イエスさまのゆえに私の罪を赦し、
生かしてくださることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月24日

生ける水の川[ヨハネの福音書 7章37-52節]

わたしを信じる者は、
 聖書が言っているとおり、
その人の心の奥底から、
 生ける水の川が
流れ出るようになります。」
             ヨハネ 7:38

*聖書をお持ちでない方は
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イエスさまは人々を招かれます。
「だれでも渇いているなら、
わたしのもとに来て飲みなさい」と。

イエスさまを信じるなら、
御霊が与えられると。
このことばを聞いて、
人々の間で分裂が生じます。

イエスさまのことを一番
信じられなかったのは、
ユダヤ人リーダーたちでした。

群衆や彼らの下役たちは
イエスさまのことばを信じ、
イエスさまをキリストだと
告白するのです。

イエスさまのことばを聞いて
信じられるか、信じられないか
その差はどれだけへりくだり、
心が打ち砕かれているかでしょう。

主が喜ばれるのは、
私たちが自分を誇り、
自分を示すことではありません。

イエスさまの十字架だけを誇り、
イエスさまを指し示すこと。
今日も一日
イエスさまを指し示し、
イエスさまのことを
証ししていきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イエスさまを
指し示す一日とさせてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月23日

わたしがいるところ[ヨハネの福音書 7章25-36節]

・・・あなたがたはわたしを捜しますが、
 見つけることはありません。
わたしがいるところに
 来ることはできません。
             ヨハネ 7:34

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多くのユダヤ人はイエスさまが
キリストであるかどうか
迷っていたのです。
彼らは信じ切れない。

それは彼らがイエスさまのことを
よく知っていたから。
イエスさまがどの町の出身で、
どこから来たかを。

そんな彼らにイエスさまは
ご自分のことを
知っているかもしれないが
父なる神さまを知らないと
言われるのです。

ユダヤ人は自分たちが
父なる神さまのことをよく知り、
父なる神さまに仕えていると
考えていた。

だからイエスさまを
捕らえようとする。
パリサイ人、祭司長たちも
イエスさまを捕らえようとする。

しかしまだイエスさまの時が
来ていなかったので、
イエスさまは捕まえられません。

そしてイエスさまは
もう少し彼らとともにいてから
父なる神さまのもとに行くこと。
彼らが捜しても見つからない。
ご自分がいるところに
来ることができないと言われる。

この時点で、だれ一人
イエスさまの歩みに
倣うことはできないのです。

それは彼らが主に逆らい、
自分の道を歩んでいたから。
そんな彼ら、そして私たちのために
イエスさまは十字架の道を
歩まれます

そして後々、私たちは
イエスさまのいるところ来て、
イエスさまの十字架の後に
従うことができるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、レントの期間、
主イエスさまの十字架への歩みを
 深く味わうことができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月21日

イエスさまの時[ヨハネの福音書 7章1-13節]

「わたしの時はまだ来ていません。・・・
             ヨハネ 7:6

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イエスさまの兄弟は
イエスさまから多くの弟子が
去ったことを受けて、
イエスさまにユダヤに行って
ご自分のわざを行うように勧めます。

ご自分を世に示すなら、
弟子たちがイエスさまのところに
帰ってくるはずだと思ったのです。

でもイエスさまはそれを
否定されます。
「わたしの時は
まだ来ていません」と。

イエスさまの時、ご自分を公に現し
神さまのわざを成し遂げられるとき。
それはもう少し先でした。

それにしてもイエスさまの素晴らしい
みわざを見聞きした人たちの中に
様々な反応があったことは
とても興味深いことです。

私たちがイエスさまのことを
証ししていても、
同じような反応があります。

でも一つ大切なのは、
彼らはイエスさまに
無関心ではないこと。

そんな彼らのところに
イエスさまは入って行かれる。
そして彼らにご自身のことを
証しされるのです。

私たちも恐れず、
主の御言葉を持って
人々の中に入っていき、
みことばを宣べ伝えていきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、みことばを語り、
主イエスさまのことを証しする力を与えてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月20日

つまずく人々[ヨハネの福音書 6章60-71節]

「主よ、私たちはだれのところに
 行けるでしょうか。
 あなたは、永遠のいのちの
 ことばを持っておられます。
             ヨハネ 6:68

*聖書をお持ちでない方は
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イエスさまのことばを聞いて
多くの人たちがつまずく。
肉なる心ではイエスさまの
霊なることば、いのちのことばを
受け入れることができないのです。

私たちはどのような心で
イエスさまのことば、
みことばを読んでいるでしょうか。

自分の益のため、
自分の求めのために読むなら、
つまずくか、全くみことばが
私たちのいのちとはならない。

それだけではなく、
イエスさまとともに
歩めなくなるのです。
敵対するようになる。

イエスさまはペテロに
「あなたがたも離れて
行きたいですか」と
質問されるのです。

ペテロはそれを否定する。
私たちにも問われます。
「わたしから離れて
行きたいか」

永遠のいのちのことばを
持っておられるイエスさまから
離れることなく、
イエスさまにとどまる。

でもそれも私たちのわざではなく
主の選びであり、主のあわれみ。
主イエスさまを信じる者と
されていることを感謝し、
主イエスさまにつまずくことが
ありませんように。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、みことばを肉の思いで
聞くことがありませんように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月19日

キリストによって生きる[ヨハネの福音書 6章41-59節]

これは天から下って来たパンです。
 ・・・このパンを食べる者は
永遠に生きます。
             ヨハネ 6:58

*聖書をお持ちでない方は
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イエスさまはいのちのパン。
天から下って来た生けるパン。
このパンを食べるなら、
永遠に生きる。

人の子の肉を食べ、
その血を飲まなければ
あなたがたのうちに、
いのちはありません。

イエスさまの肉を食べ、
イエスさまの血を飲む。
常識的に考えると、
とてもビックリすることば。

と同時に、聖餐式を
思い起こすことばでもあります。
聖餐式において私たちは
主イエスさまの尊い犠牲を覚え
パンを食べ、ぶどう液を飲む。

イエスさまは十字架において
ご自分のからだ、ご自分のいのちを
私たちに与えてくださいました。

それによって私たちは
キリストにあって、
生きる者となったのです。

また聖餐式で、パンを取って食べ、
ぶどう液を取って飲むことで、
私たちはキリストを食べる。

すなわちキリストを信じて従う
思いを新たにして、
新しいいのちをいただく。
これこそキリストのうちに
とどまること。

このようにキリストのうちに
とどまるなら、永遠に生きる。
三位一体の神を知り続け、
主の恵みの中で憩うことができる。

終わりの日には、よみがえり、
新しい栄光のからだをいただき
三位一体の神さまとの永遠に続く
交わりの中に入ることができる。

この確かな望みを覚え、
常に主イエスさまを信じ、
キリストにとどまり続けていきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、キリストを信じ、
キリストにとどまる私たちとさせてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月18日

いのちのパン[ヨハネの福音書 6章30-40節]

「わたしがいのちのパンです。
 わたしのもとに来る者は
 決して飢えることがなく、
 わたしを信じる者はどんなときにも、
 決して渇くことがありません。
             ヨハネ 6:35

*聖書をお持ちでない方は
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イエスさまは「神のパンは、
天から下って来て、
世にいのちを与えるものなのです」と
言われます。

このいのちのパンこそ、イエスさま。
イエスさまのもとに行くなら、
決して飢えることがなく、
イエスさまを信じる者は
どんなときにも決して渇かない。

決して飢えず、決して渇かない。
どうでしょうか?
私たちは飢えず、
渇いていないでしょうか。

私自身、霊的な渇きを
感じることがよくあります。
それはイエスさまが私を
招いてくださっているしるし。

この招きに応じて
イエスさまのもとに行くなら
私たちはイエスさまによって
霊的に満たされるのです。

でも時々、私たちはイエスさまの
ところに行かず、違うことで
自分の渇きをいやそうとしてしまう。

そうすると、私たちの渇きは
さらに増す。
ですから主の招きにいつも答えて、
イエスさまのところに行きましょう。

またイエスさまが
下ってこられたのは、
父なる神さまのみこころを
行うため。

父なる神さまのみこころは
イエスさまを見て信じる人たちが
永遠のいのちを持って、
終わりの日によみがえらせること。

私たちの周りには
たくさんの人たちが
飢え渇いています。

イエスさまは彼らを招いておられる。
その招きに応じて、イエスさまのもとに
行くように、励まし助けるのが
私たちに与えられた使命。

どうか今、飢え渇いている人たちが
イエスさまのもとに来るように
お祈りしていきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イエスさまはいのちのパンです。
イエスさまを信じ、いつでもイエスさまのもとに
 行けますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】2月17日

神のわざ[ヨハネの福音書 6章16-29節]

「神が遣わした者を
 あなたがたが信じること、
 それが神のわざです。」
             ヨハネ 6:29

*聖書をお持ちでない方は
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神の遣わした者とは、
イエスさまのことですね。
イエスさまはご自分を
信じることが神のわざだと
語られます。

何か特別なことを
するのではない。
イエスさまを信じる、
イエスさまに信頼する。

イエスさまは弟子たちに対して
ご自分を信じるという
神さまのわざをなされるために
彼らに語りかけ、
チャレンジを与えられます。

強風で嵐に遭う場面でも
彼らにイエスさまは近づかれ、
「わたしだ。恐れることはない」と
ご自分が神であり、信頼すべき
お方であることを明らかにされるのです。

さらに永遠のいのちに至る
食物のために働くように
人々に語られます。

永遠のいのちに至る食物、
それはみことばでしょう。
みことばのために働くとは、
みことばを蓄え、
みことばに生きること。

そしてみことばを宣べ伝え、
実を結んでいくこと。
それが神さまのわざであり、
そのために私たちは今、
それぞれのところに
遣わされているのです。

今日も遣わされる
一つ一つの場所で
神さまのわざを見て、
神さまのわざに
参与させていただきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イエスさまを信じる信仰を
与えてくださり、ありがとうござます。

*聖書箇所は「日々のみことば」
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【日々のみことば】2月16日

試すために[ヨハネの福音書 6章1-15節]

「どこからパンを買って来て、
 この人たちに食べさせようか。」
             ヨハネ 6:5

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イエスさまを求めて
群衆が押し寄せてきます。
そのときイエスさまは
ピリポに上記のことばを
語りかけられるのです。

イエスさまはご自分が
何をしようとしているのか、
知っておられたのですが、
ピリポを試された。

ピリポはすぐにイエスさまに
こんな大勢の人たちに
パンを配るなんて
不可能だと答えるのです。

アンデレも五つのパンと
二匹の魚を持っている
少年がいるけれど、
何の役に立つだろうかと
イエスさまに言います。

目の前に水をぶどう酒に変え
人々を癒やしたイエスさまが
おられるのに、全く信用していない。

常識にとらわれ、
主に頼ろうとしません。
イエスさまの信仰のチャレンジに
彼らは見事に失敗するのです。

そんな彼らをイエスさまは
用いられて、5000人以上の
人たちのお腹を満たされます。

二百デナリも必要ありません。
ただ少年の5つのパンと
二匹の魚だけで十分でした。

私たちはどうでしょうか。
主に期待しているでしょうか。
主がともにおられるのに
主がおられないかのように
振る舞っていることはないでしょうか。

今日も主に期待し、
主により頼み、
歩んで行きましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたに期待し、
あなたのみわざを待ち望めますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
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【日々のみことば】2月14日

わたしも働いている[ヨハネの福音書 5章16-30節]

「わたしの父は今に
 至るまで働いておられます。
 それでわたしも働いているのです。」
             ヨハネ 5:17

*聖書をお持ちでない方は
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イエスさまが安息日に
癒しを行われたため、
ユダヤ人たちはイエスさまを
迫害し始めます。

そんな彼らにイエスさまは
神さまをご自分の父と呼び、
ご自分を神さまと等しくする。

そのことでユダヤ人たちは
さらに怒りが増すのです。
ここでイエスさまは真実を
語られています。

でも霊的な目が閉ざされ、
自分が正しいと思っている彼らは
イエスさまの言葉が
全く入ってこないのです。

そんな彼らにイエスさまは
真実を語り続けます。
イエスさまは父なる神さまが
しておられることを見て行う以外は
何も行うことができませんと。

また父なる神さま同様
子なるキリストもまた
与えたいと思う者に
いのちを与えられる。

さらに父なる神さまを敬うなら、
子なるキリストを敬うはず。
子なるキリストを敬わないなら
父なる神さまも敬わない。

ユダヤ人たちは自分たちが
神さまを敬い、神さまの御心に
従って行動していると信じていた。

でも彼らは子なるキリストに逆らい、
好き勝手な歩みをしていたのです。

私たちはどうでしょうか。
自分の意志ではなく、
父なる神さまのみこころを
本当に求めているでしょうか。

私はときどき、主の御心が
分からず、自分の意志で
行動しているときがあると
気づかされる時があります。

自分の意志で何でもすると、
疲れますし、
プレッシャーを感じますし、
上手くいかないのです。

確かに神さまのみこころと
私たちの意志とには
ギャップが大きい。

けれど自分の意志をわきに置き、
主のみこころを行おうと
決心するなら、主の導きに従うなら、
楽になる。主に任せられるから。

すべての重荷を主の前に置き、
自分の意志を主にゆだね、
主のみこころに生きられるよう
お互いにお祈りしていきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたのみこころに
生きられますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。