イザヤの召命
イザヤは主の栄光を見たとき、
自らの罪を悟り、
主の聖さの前に自分は滅びるだろうと
告白する。
それに対して主は、彼の咎を取り除き、
罪を赦される。
このようにイザヤが主に出会い、
きよめられたのは、
彼ら預言者として遣わされるため。
でもその道は決して楽なものではなかった。
私たちが救われたのも、
主によって遣わされるため。
その道は険しくても、
主の時に実を結ぶ。
父よ、ここに私がおります。
あなたにきよめられた私たちを用いてください。
私は主が言われる声を聞いた。
「だれを、わたしは遣わそう。
だれが、われわれのために行くだろうか。」
私は言った。
「ここに私がおります。私を遣わしてください。」
イザヤ6:8