【日々のみことば】7月17日

イザヤの召命

イザヤは主の栄光を見たとき、
自らの罪を悟り、
主の聖さの前に自分は滅びるだろうと
告白する。

それに対して主は、彼の咎を取り除き、
罪を赦される。
このようにイザヤが主に出会い、
きよめられたのは、
彼ら預言者として遣わされるため。
でもその道は決して楽なものではなかった。

私たちが救われたのも、
主によって遣わされるため。
その道は険しくても、
主の時に実を結ぶ。

父よ、ここに私がおります。
 あなたにきよめられた私たちを用いてください。

 私は主が言われる声を聞いた。
 「だれを、わたしは遣わそう。
  だれが、われわれのために行くだろうか。」
 私は言った。
 「ここに私がおります。私を遣わしてください。」
                 イザヤ6:8