羊飼いとなって
詩篇の記者の恐れは、主の沈黙です。
そして悪者と一緒に滅びに向かうことなのです。
だからこそ主のあわれみを求めます。
沈黙、苦難の中でも、主に祈ることをやめません。
そして主に拠り頼む自分が助けられたことを
高らかに賛美するのです。
また彼は自分の救いだけを求めません。
イスラエルの民を救い、
祝福して下さるように祈るのです。
彼らの羊飼いとして、導いて欲しいと願います。
時に私たちは自分のことばかりを祈る。
自分さえ良ければと考えてしまう。
でも私たちの真の羊飼いであるキリストは、
私たちを一人ひとり単独に
導いておられるのではない。
キリストの教会を一つのからだとして
導き、救い、祝福して下さる。
ですから自分の救い、助けだけでなく、
教会の救い、導きを求めていけたらと願います。
父よ、私たちの教会をあわれんで下さい。
そして救い、祝福し、義の道に導いて下さい。
どうか御民を救ってください。
あなたのゆずりの民を祝福して下さい。
どうか彼らの羊飼いとなって
いつまでも彼らを携え導いて下さい。
詩篇28:9