主を礼拝する備え
「海」は祭司たちが身を洗うためのものであった。
Ⅱ歴代誌4:6
「海」と言われている祭司たちが
身を洗い、きよめるための青銅の鋳物。
このことが詳しく説明されている。
身をきよめるものが「海」と
表現されていることに不思議な感じがする。
大きいから「海」なのか。
海は塩気があるので
塩によってきよめられるという意味があるのか。
いずれにしても祭司たちは「海」で
自らの身の汚れを洗ってからでないと、
主に仕えることは許されなかった。
新約聖書で「海」が象徴的に書かれているところがある。
それが黙示録21章。
「また私は、新しい天と新しい地を見た。
以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない」
今まで海がないのは、苦しみがなくなるということだと
解釈してきた。
でも今日の箇所を思い巡らしながら、
イエス様の再臨によって与えられる新天新地において
祭司だけが身をきよめ、主に仕えることがなくなる。
いやすべての人が完全にきよめられているため、
自らをきよめる必要がなくなるということを
表現しているのではないかと思わされた。
いずれにしても今の世にあっては、
主を礼拝するために、主に自らの罪を告白し、
主に日々きよめられ、
主を礼拝する者とさせていただきたい。
父よ、私たちの身を日々きよめてくださり、
あなたに仕え、
あなたをほめたたえる者とさせてください。