【日々のみことば】3月14日

主がお入り用なのです[マタイ 21:1-11]

もしだれかが何かを言ったら、
 「主がお入り用なのです」と言いなさい。
              マタイ 21:3

イエス様がエルサレムに入城される直前、
弟子たちを村に遣わされます。
そして彼らに子ろばを引いてくるように
命じられるのです。

そのとき誰かが何かを言ったら、
「主がお入り用なのです」とだけ
言うように告げます。

ユダヤ人の王としてエルサレムに
入城されるときイエス様は馬ではなく、
ろばに乗られるのです。

これはイエス様がエルサレムを、
そしてご自身の王国を力で
支配するのではなく、柔和な心で
支配されることを現しています。

私たちのイエス様はいつでも
私たちの王として私たちを
柔和な心で導いてくださるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、柔和で優しいイエス様が

私たちの唯一の王様であることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月13日

仕えるために来られたイエス様[マタイ 20:17-34]

人の子が、仕えられるためではなく
 仕えるために、また多くの人のための
贖いの代価として、自分のいのちを
 与えるために来たのと、
同じようにしなさい。
            マタイ 20:28

イエス様がもう一度、12弟子たちに
ご自分の十字架の苦難と復活について
語られたのですが、霊的な目が
閉ざされていた彼らは理解できません。

それどころか自分たちのこと
ばかりを考えているのです。
ヤコブとヨハネの母が彼らと
一緒にイエス様ところにきます。

そして「二人の息子が御国で
あなたの右に、座れるように
おことばをください」と
お願いするのです。

その願いにイエス様は
「あなたがたは何を求めているか
 分かっていない。私が飲もうとしている
 杯を飲めるか」と問います。

この杯とは十字架のことです。
ヤコブとヨハネは自信満々に
「できます」と答えます。

その応答をイエス様は否定せずに、
「あなたがたはわたしの杯を
 飲むことになります」と
言われるのです。

このときイエス様が告げられたように
彼らはイエス様の苦しみを
後々身に受けることになります。

さてこの会話を聞いていた他の十二人は
二人に腹を立てます。それは彼らが二人に
出し抜かれたと思ったからです。

12弟子の誰もがイエス様の王国で
高い地位に就くことを願っていたのです。
そんな彼らにイエス様は
謙遜に仕えることを教えられます。

イエス様も仕えるためではなく、
仕えるためにこの世に来られました。
そして私たちのための贖いの代価として
私たちにいのちを与えてくださったのです。

このイエス様にならって
私たちもへりくだって
仕えることができますように

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、へりくだって仕える心を与えてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月11日

永遠のいのちを得るためには[マタイ 19:13-30]

青年はこのことばを聞くと、
 悲しみながら立ち去った。
多くの財産を持っていたからである。
            マタイ 19:22

お金持ちの青年がイエス様に近づき、
永遠のいのちを得るために
どんな良いことをすればよいか
尋ねます。

それに対してイエス様は、
戒めを守るように命じるのです。
そうすると青年は、戒めをすべて
守ってきたと答えます。

そして「何かまだ欠けていることが
ありますか」と質問するのです。
青年はいくら戒めを守っても、
永遠のいのちを得ている確信がありません。

もっとすべきことがあると考えるのです。
そんな彼にイエス様は財産を売り払って、
貧しい人に与えてから、ご自分に従うように
応じられます。

それを聞いて青年は非常に悲しみ、
イエス様から離れて行くのです。
彼は自分が一番触れられたくない部分が
明らかにされ、動揺します。

そして自分には財産を捨てることは
不可能だと思い、心から悲しむのです。
このように自分の内面を探られ、
悲しむことは大切なことでしょう。

主は私たちの欠けているところを
教えてくださいます。
それは私たちにとって触れられたくない
ところかもしれません。

そのためイエス様から
離れたくなることでしょう。
けれど自分の弱さ、欠けを悲しむことは、
イエス様に近づくチャンスでもあります。

弱さ、足りなさを認めて、
イエス様に近づくときに、
イエス様は私たちを喜んで迎え、
私たちの弱さ、欠けを包み込んでくださるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私にもたくさんの弱さ、欠けがあります。

どうかそれらから逃げることなく、
 イエス様にいやしていただけますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月10日

心が頑ななので[マタイ 19:1-12]

そういうわけで、神が
 結び合わせたものを人が
引き離してはいけません。
          マタイ 19:6

パリサイ人たちはイエス様を
試みようと、イエス様に質問します。
それは理由があれば、離婚することは
律法にかなっているかということでした。

それに対して、イエス様は
主なる神様によって結び合わされ
一体のなった夫婦を
引き離してはいけないと答えられるのです。

そうするとパリサイ人たちは、
モーセは離婚することを
認めたではないかと反論します。

このようにモーセが離婚を認めたのは、
ユダヤ人たちが頑なだったからだ。
はじめの時からそうではなかったと
答えられるのです。

イエス様は離婚の有無ではなく、
人の頑なさを問題にされます。
私たちは本当に頑なで
主の教えに従えないのです。

そして大切な視点は神様が
二人を結び合わせてくださったということ。
この主の視点で夫婦関係を見つめ直すことが
私たちには大切なのではないでしょうか。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたが結び合わせてくださったことを覚えて、

もう一度夫婦関係を見つめ直すことができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月9日

何回赦すべきか[マタイ 18:21-35]

わたしは七回までとは言いません。
 七を七十倍するまでです。
            マタイ 18:22

ペテロはイエス様に兄弟が
自分に罪を犯したとき、
何回赦すべきか。七回でしょうか。
と問いかけます。

それに対してイエス様は
七を七十倍するまで
すなわち赦し続けるように
答えられるのです。

なぜ赦し続けるのか、
その理由をたとえを通して
イエス様はペテロに教えられます。

それは私たちが返せないほどの
大きな負債を神様から
赦されたからです。

でも私たちはすぐに
その恵みを忘れ、
人のことを赦せません。

あわれみを受けているのに、
あわれむことができないのです。
それが私たちの弱さです。

そんな弱い私たちだからこそ
いつもイエス様によって赦された
恵みを心に留めて、
歩んでいく必要があるのでしょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、赦し合う恵みに満たしてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月8日

イエス様の名前によって集まる[マタイ 18:11-20]

二人か三人がわたしの名に
 おいて集まっているところには、
わたしもその中にいるのです。
            マタイ 18:20

イエス様は「・・・二人が、どんなことでも
地上で心を一つにして祈るなら」
その祈りを父なる神様が
答えてくださると語られます。

個人の祈りだけでなく、
心一つにして、ともに祈ることを
イエス様は勧めておられるのです。

祈祷会や礼拝の後や普段の日に会って、
互いの近況を分かち合い
お互いのため、教会のために祈ることを
主は待っていてくださいます。

確かに祈ることに苦手意識を持っていて、
人の前で祈れないという人もいるのです。
どう祈ったら良いか分からないと
言われる方もいます。

だからこそ祈りの場に出ていくことは
大切なのではないでしょうか。
愛する兄弟姉妹たちの祈りに
心を合わせるとき、そこに祈りが生まれます。

それだけでなく二人三人が集まるところに
イエス様がその中にいてくださるのです。
イエス様を中心とした豊かな
交わりを持つことができます。

来月からZoomで祈祷会をする機会を
増やしていこうと思っています。
場所は離れていても、心を一つにして
ともに祈れることを楽しみにしています。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、心を一つにして祈れますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月7日

子どもたちのように[マタイ 18:1-10]

向きを変えて
 子どもたちのようにならなければ、
決して天の御国に入れません。
            マタイ 18:3

子どものように自分を低くするものが、
天の御国に入ることができる。
何度も聞いてきたみことばです。

でも私たちはどうしても大人のように
自分を高くしてしまいます。
子どもに倣おうとしないのです。

逆に子どもたちを自分たちに
合わせようとするのです。
子ども、小さな弱い人たちを
軽んじることがあります。

もっと子どもたち、小さな弱い人たちを
大切にして、彼らを喜び、
子どもたちとともに主なる神様を礼拝する恵みを
味わうことができたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、子どものように低くなれますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】3月6日

信仰が薄い[マタイ 17:14-27]

あなたがたの信仰が薄いからです。
            マタイ 17:20

イエス様たちが山から降りてくると、
息子が悪霊につかれている父親が
イエス様に助けを求めるのです。

最初、父親は弟子たちに頼んだようですが、
弟子たちは悪霊を追い出すことができませんでした。
でもイエス様が悪霊を叱ると、
すぐに悪霊は出て行き、息子は癒やされるのです。

それを受けて弟子たちは
「どうして悪霊を追い出せなかったのか」と
イエス様に問いかけます。

するとイエス様は「あなたがたの信仰が
薄いからです」と答えられるのです。
そしてからし種ほどの信仰があるなら、
山さえも動かせると言われます。

からし種は種の中で一番小さいといわれます。
そんな小さな信仰さえあれば、何でもできると。
イエス様はいつでも私たちの信仰を
見られています。

私たちは現実ばかりに目が留り、
なかなかイエス様を全面的に
信頼できないのです。

その信仰の薄さをイエス様は嘆かれ、
もっとご自身に信頼し、委ねるように
私たちを励ましてくださいます。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、もっとイエス様に信頼して、

委ねて歩めますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。