【日々のみことば】4月14日

現状をどう見るか[民数記 13:21-33]

「私たちはぜひとも上って行って、
 そこを占領しましょう。
 必ず打ち勝つことができます。」
           民数記 13:30

イスラエルのリーダーたちは
主がモーセに命じられたとおり、
カナンの地を偵察に行きます。

その彼らの報告は
とてもネガティブなものでした。
とても良い土地だけど、
住んでいる人は強く、
城壁が非常に大きいと。

けれどカレブだけは違いました。
同じ現実を見ても、
彼はネガティブにならないのです。

上記にあるように
「ぜひとも上って行こう」と
民にかたります。

この違いは何なのでしょうか。
それは主が必ず良くして下さるという
主のことばへの信頼でしょう。

私たちの歩みも、現実だけ見ると
険しく感じるときがあります。
主はあのように約束して下さったけど、
無理ではないか。

そんなとき、主の約束のことばに
立ち返られたら幸いです。

またネガティブな感情に
支配されそうになったとき、
主がともにおられるから大丈夫と
告白できますように。

主は必ず私たちに脱出の道を備え、
勝利を与えてくださいます。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、ネガティブになったとき、

あなたの守りと助けを待ち望むことができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月13日

カナンの地の偵察へ[民数記 13:1-20]

「人々を遣わして、
 わたしがイスラエルの子らに
 与えようとしている
 カナンの地を偵察させよ。
          民数記 13:2

主なる神様は、ご自分がイスラエルに
与えると約束されたカナンに
そのまま導かれたわけではなかったのです。

モーセを通して、カナンの地を
偵察するように命じられます。
また主が与えられる地には、
他の民族が住んでいたのです。

それにしてもなぜ主は
カナンの地を偵察に行かせたのでしょうか。
それはイスラエルの民が、自分の目で見て、
確認して約束の地に入るためでした。

いきなり全員が約束の地に行って、
こんなはずじゃなかったと
引き返さないために。

私たちの歩みにおいても
このような下調べは大切でしょう。
何も考えず、みこころだからといって
がむしゃらに突き進むことを
主は望んでおられません。

主のみこころに進むために
主のみこころをじっくり見極め、
しっかり調べて、一歩一歩進んでいく。

そのとき私たちは
こんなはずじゃなかったと
愚痴を言うことはなく、
主のみこころに従うことが出来るでしょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたのみこころを

じっくり見極める心を与えてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月12日

モーセの柔和さ[民数記 12:1-16]

モーセという人は、
 地の上のだれにもまさって
柔和であった。
          民数記 12:3

モーセはイスラエルのリーダーとして
選ばれますが、全く高ぶることなく、
柔和なひとでした。

姉のミリアム、兄のアロンが
自分を責めたときに
彼は言い訳しません。
争わないのです。

その時、主が彼らの間に
介入してくださいます。
そしてどれほど主がモーセを
重んじているかを語られるのです。

私はモーセの逆です。
自分を守ろうと必死に抵抗します。
戦うことも多い。

でもモーセをかばわれる、
重んじられる主のことばを見ながら、
主が私たちの味方であり、
助け手であることを改めて教えられます。

そして私自身、モーセのように
主の姿を仰ぎ見る者でありたい
と願わされたのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、モーセの柔和さに倣う者となれますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月11日

ともに重荷を負う仲間を[民数記 11:16-35]

それで彼らも民の重荷を
 あなたとともに負い、
あなたがたった一人で
 負うことはなくなる。
          民数記 11:17

主はモーセの訴えを聞いてくださり、
彼にともに重荷を負う仲間を
集めるように命じられます。

私たちは一人で、何もかも
負わされるのではないのです。
主が必要な助けを与えてくださいます。

さらに主は民たちの不平を聞き、
肉を与えると約束されるのです。
これにはモーセも驚きます。

イスラエルの民、すべてのお腹を
満たす肉を用意するなど
不可能だと思うのです。

それに対して主は
「この主の手が短いというのか。
 わたしのことばが実現するかどうかは、
 今に分かる」と答えられます。

私たちもこれは無理ではないかと
感じることが良くあるのです。
主のことばに委ね切れないときが
多くあります。

けれど私たちの主の手は
決して短くない。主のことばは
必ず実現することを
もう一度、覚えようではありませんか。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたのことばは必ず実現することを

信じることができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月10日

モーセのとりなし[民数記 11:1-15]

それで、モーセが主に祈ると、
 その火は消えた。
          民数記 11:2

今日から民数記を通して、
主の御声を聞きます。
イスラエルの民は主の恵みを忘れ、
主に不平不満を言うのです。

それを聞いた主は、怒りを燃やし、
主の火が彼らに向かって
燃え上がります。

そのさばきの中、
モーセが主に祈ると
火は消えるのです。

彼らの不満はさらに
激しさを増します。
肉が食べたい。
全く何もなく、マナしか与えられない。

マナが与えられているのに、
それに対する感謝が全くないのです。
エジプトの方が良かったという始末。

そんな彼らの不平不満と、
主の激しい怒りを知ることは、
モーセにとってとても辛いことでした。

ですからモーセは主に祈ります。
それはとても素直な祈りでした。
モーセは自分に負いきれないほどの
重荷を負わせられていると訴えるのです。

確かにモーセが喜んで
引き受けたことではありませんでした。
民と主の間に立つことは、
そんなに簡単なことではないのです。

だからこそ彼は死を願います。
このモーセの姿、訴えを見て、
イエス様のことを思うのです。

イエス様も私たちと父なる神様との
中保者として、この地上に
来てくださいました。

人々の不平不満を聞き、
身勝手な姿をみて、
本当に辛かったことでしょう。

でもイエス様は忍耐され、
私たちの重荷をすべて
負ってくださったのです。

この主の忍耐こそ、私たちの救い。
そして私たちも主の忍耐に倣い、
主に背く人たちのために、
祈り続けていく必要があるのです。

それは簡単なことではないでしょう。
自分には重すぎます
と叫びたくなるかもしれない。

この叫びを主は聞いてくださり、
イエス様が私たちとともに
重荷を負ってくださるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたに背き続ける人たちのために

祈り続けるものとさせてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月8日

イエス様の葬り[マタイ 27:57-66]

ヨセフはからだを受け取ると、
 きれいな亜麻布に包み、
岩を掘って作った自分の
 新しい墓に納めた。
          マタイ 27:59,60

イエス様のからだは、
弟子になっていたヨセフに
引き取られます。

彼はイエス様を自分の
新しい墓に納めるのです。

その様子を見ていたのが
イエス様の十字架の側にいた
女性の弟子たちでした。

そして彼女たちが最初に
イエス様の復活を聞くことになるのです。

また安息日に祭司長とパリサイ人は、
ピラトのもとに行きます。
それはイエス様が三日目に
よみがえるということを心配してのことでした。

イエス様の言ったことを
信じた弟子たちがイエス様の遺体を
盗んでイエス様がよみがえられたと
話し始めたら、大変なことになると考えたのです。

それを聞いたピラトは番兵に
墓を守らせます。
けれど、このような人間的な知恵や
力を打ち破って、イエス様は復活されるのです。

このイエス様の復活を喜び、
賛美する一日でありますように。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イエス様をあなたの偉大な力によって

よみがえらせてくださり、ありがとうございます。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】4月7日

神の子イエス様[マタイ 27:45-56]

「この方は本当に神の子であった。」
             マタイ 27:54

イエス様が十字架に架かられ
3時間、闇が全地をおおいます。
そのあとイエス様は「わが神、わが神、
どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と
叫ぶのです。

イエス様は私たちの罪のために
父なる神様が見えなくなり、
見捨てられたと考えられます。

それでもイエス様は十字架にとどまられ
私たちのために十字架で
死んでくださったのです。

このイエス様の十字架の死によって
神殿の幕が裂け、地が揺れ動きます。
イエス様を見張っていた百人隊長たちは
イエス様の十字架での姿や
色々な出来事を見て告白するのです。

「この方は本当に神の子であった」
イエス様の十字架の死は、
人を変える神様の力です。

私たちもイエス様の十字架にとどまり、
イエス様の十字架を見上げるなら、
私たちは心からイエス様のことを
「神の子・救い主」と告白できることでしょう。

どんなに苦しみを負われても、
父なる神様から見捨てられたと感じられても、
私たちのために十字架にとどまってくださった
イエス様を心からほめたたえることができますように。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イエス様が私たちの救いのために

十字架にとどまって、死んでくださったことを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。