【日々のみことば】12月14日

神を恐れる[ヨブ記 36:26-37:24]

だから、人々は神を
 恐れなければならない。
          ヨブ記 37:24

エリフのことばは神さまの
厳しさが強調されています。
神さまの愛や優しさではなく、
冷たさを感じるのです。

確かに神さまは偉大なお方で、
悪に対して厳しく、
天地万物を支配しておられます。

でも決して冷淡なお方ではないのです。
私たちを脅したり、
力を見せつけられません。

私たちを御翼の陰に隠し、
私たちを愛で包んでくださる。
ですから私たちも御翼の陰に
身を避けるのです。

神さまの厳しさ、正しさだけを
強調すると私たちは生きづらくなり、
人をさばきやすくなります。

ともに神さまの愛の深さ、高さ、
広さを味わい知り、
愛し合っていきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私たちを御翼の陰にかくまってください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】12月13日

神さまの戒め[ヨブ記 36:1-25]

神は彼らの耳を開いて戒め、
 不法から立ち返るように命じる。
          ヨブ記 36:10

神さまは罪に対して厳しいお方。
悪、背きをそのままにされません。
私たちの耳を開いて戒め、
不法から立ち返るように命じられるのです。

主なる神様は私たちが滅びるのを
望んでおられません。
私たちが悔い改めて生きることを
いつも願っておられるのです。

また私たちのうちに住んでくださる
聖霊なる神様によって私たちは
みことばを理解する力が
与えられます。

「これが道だ。これに歩め」との
声を聞くことができるのです。
この聖霊の導きに素直に従うか、
逆らうか。

それが私たちの生き方を決定します。
今日も御霊の火を消すことなく、
純粋な幼子のような信仰で、
神さまを慕い求めていきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、御霊に導かれて歩めますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】12月12日

私たちの正しさ[ヨブ記 34:31-35:16]

あなたが正しかったとしても、
 神に何を与えられるのか。
          ヨブ記 35:7

私たちが罪を犯したり、
正しく生きることは、
神さまと全く関係ないのでしょうか。

私たちが正しく生きる目的は
どこにあるのでしょうか。
私たちが正しく生きるのは、
私たちのためなのでしょうか。

エリフはヨブの正しさなど
神さまには全く関係ないと
語っているように思います。

でも私たちの正しさは
私たちが神の民、神の子として
歩む上でとても大切なことでしょう。

私たちが救われたのは、
私たちを通して神さまの栄光が
現わされるためだからです。

このことを覚えて、
神さまの前に正しく歩めるよう、
祈っていきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの子として正しく生きる道を

選ぶことができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】12月11日

すべてを神が見ておられる[ヨブ記 34:1-30]

神の御目が人の道の上にあり、
 その歩みのすべてを
神が見ておられるからだ。
          ヨブ記 34:21

エリフも三人の友人たち同様
ヨブの罪ゆえに彼が主に裁かれ、
苦しみにあっていると指摘します。

しかも神様の目には
すべてが明かで、
何も隠すことができない。

そして、その行いによって
人はさばかれ、倒され、
砕かれると語るのです。

確かに神様は私たちの
すべてをご存じです。
私たちは神様から隠れて
何もできません。

でも詩篇130篇にあるように、
主が私たちの不義に
目を留められるなら、
だれも御前に立つことができないのです。

でも主は赦してくださる。
主は私たちの罪を見て、
ただ裁かれて、
おしまいにされません。

私たちの罪に光を当て、
私たちが悔い改めて生きるときに、
私たちの罪を赦してくださるのです。

この主の赦しによって
私たちは主の前に立つことができます。
何という幸いでしょうか。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたが赦してくださることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】12月10日

滅びの穴から[ヨブ記 33:1-33]

人のたましいを滅びの
 穴から引き戻し、
いのちの光で照らされる。
          ヨブ記 33:30

エリフはヨブに神様が
いちいち答えられないからと、
神と争うなと警告します。

それは主なる神様が
人のたましいが滅びの穴に入らず、
そのいのちが投げ槍で
滅びないようにされるから。

また23節以降の一人の御使い、
千人に一人の仲介者は、
まさにイエス様のことを
預言しているよう。

私たちはイエス様によって新しくされ、
滅びの穴からたましいを贖い出し、
いのちの光を見ることができるのです。

主は私たちを滅びの穴から引き戻し、
いのちの光で日々照らしてくださいます。
この恵みを覚え、キリストの光の中で
今週も歩んで参りましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私たちを滅びの穴から贖い出し、

いのちの光で照らしてくださり、感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】12月9日

エリフの怒り[ヨブ記 32:1-22]

確かに、人の中には霊があり、
 全能者の息が人に悟りを与える。
          ヨブ記 32:8

ヨブの3人の友人はヨブに
答えるのをやめてしまいます。
それはヨブが自分を正しいと
思っていたからです。

それを近くでずっと見て、
聞いていたのがエリフでした。
彼はヨブが自分を神様より
正しいとしたこと。

また三人の友だちがヨブを
説得して罪を
認めさせなかったことに
怒りを燃やします。

そしてエリフもヨブに
自分の意見を主張するのです。
エリフは自分が一番若かったので、
これまで黙っていたと語ります。

そして神の霊をいただいている人は、
全能者から悟りが
与えられるとするのです。

ところがヨブも、三人の人たちも、
まったく悟りがない。
そのことでエリフの怒りは
頂点に達します。

それゆえ彼は自分の心にあることばを
これから語っていくのです。
エリフもまた友人たちと同じで、
自分を正しいとする人でした。

だから苦しみに会っているヨブを
責めて責めて責めまくるのです。
私たちも自分の思いを
ぶつけたくなるときがあります。

でもどのように語るかを
主の悟りをいただき、
考えていく必要があるのです。

ただ責めるだけでなく、
主の愛とあわれみを語る。
それが人を導き、
生かすことになると信じます。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私の語ることばがあなたの愛と

あわれみを現わすことができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】12月8日

ヨブの最後の訴え[ヨブ記 31:24-40]

だれか、私の言うことを
 聞いてくれる者はいないものか。
          ヨブ記 31:35

ヨブは自分の正当性を
なおも訴え続けます。
自分は金に拠り頼んだことも、
富を誇ったこともないと。

太陽や日を拝んだことも、
自分が憎む者が衰えたり、
わざわいにあったことを
喜んだことなどない。

口で罪を犯したことも、
自分の背きを隠したことも、
一族がピンチの時に、
逃げも隠れもしなかった。

この自分の正しさ、誠実さを
誰か聞いてくれないか。
自分を訴える告訴状があれば、
それをもって神に近づきたいと。

このようなヨブの切実な祈り、
叫びに神様も友人たちも、
沈黙します。

そのような中で、
ヨブのことばは終わるわけです。
この時のヨブはどのような
気持ちだったでしょうか。

ただ絶望していたでしょうか。
心はかなり弱っていたはずです。
でも彼の目は、神様から離れていません。
神様に向かって真っ直ぐ。

なおも神様の弁護を
待ち望むのです。
なぜなら神様だけが自分の
すべてを知っておられるから。

私たちもヨブのように
神様から目を離さず、ぶれずに
歩んでいきたいと願います。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたから目を離さずに

歩めますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】12月7日

私たちを形作られたお方[ヨブ記 31:1-23]

私を胎内で造られた方は、
 彼らをも造られたのではないか。
同じ方が、私たちを母の胎内で
 形作られたのではないか。
         ヨブ記 31:15

ヨブはなおも自分が正しく
誠実に生きてきた
ことを語ります。

もし自分が間違ったことをしていたなら、
自分にどんな不利益が起こっても、
受け入れると言うのです。

また弱い者、やもめ、
孤児たちを助けたとも
訴えます。

ヨブは彼らのことを見下さず、
自分と同じ主が彼らを
形作ったと告白するのです。

このようにヨブは本当に
責められるところのない者でした。
誠実に生きようとしてきた。

翻って、私はどうだろうかと
思い巡らしたとき、
罪人だから誠実になんか
生きられないと思っているのです。

罪から自由になり、神の子とされ、
もう一人の助け主なる聖霊が
与えられているのに、
その特権を自ら放棄している。

もっと自分が神の子とされている
恵みを心に覚え、
聖霊の導きに従って
歩んでいけたらと願います。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの子とされている特権を

覚えることができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。