【日々のみことば】12月6日

ヨブの叫び[ヨブ記 30:16-31]

私は善を望んだのに、
 悪が来た。
光を待ったのに、
 暗闇が来た。
         ヨブ記 30:26

ヨブは自分の叫びに主が沈黙され、
目を留めてくださらないことを
嘆いています。

主がヨブにとって残酷な方に変わり、
御手の力で、攻めたてられていると。
これは彼が望んでいたことでは
ありませんでした。

ヨブは自分でも告白するように、
誠実に生き、人々を助けて
寄り添ってきました。

それなのに苦しみの日が立ち向かい
泣き叫んで歩き回るしかない。
このような自分のみじめさを
彼は吐き出します。

それでも彼は苦しみの中で、
主に手を伸ばし、助けを求める。
光をなおも待ち望みます。

私たちも「主よ、まだですか」と
叫びたくなるときがあるのです。
自分の善に報いられない、
苦しみを感じるときあります。

しかし私たちは決して忘れてはいけません。
私を贖う方は生きておられることを。
主は私たちを見捨てず、
弁護してくださるから。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、苦しみの中であなたを

見失うことがありませんように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】12月5日

ヨブの平穏は、、、[ヨブ記 30:1-15]

私の平穏は、
 雨雲のように過ぎ去った。
            ヨブ記 30:15

ヨブは年下の者たちが
自分をあざけり、
愚かな者たちの笑いぐさと
なっていると嘆きます。

ヨブはなぜここまで自分が
落ちぶれて知ったのか
理解できないのです。

これが彼の本音。
威厳に満ち、平穏だった日々は、
何の前触れもなく
過ぎ去りました。

これをヨブはただ耐え忍ぶのではなく、
はっきりことばにするのです。
これは傷つき、困難の中にいる人にとって
大切なことでしょう。

すべての感情をうちに
とどめておくのではなく、
それを吐き出すとき、
私たちの感情が整理されます。

ヨブの嘆きを見ていると、
私たちももっと素直に自分の感情を
表現して良いのだ、
ということに気がつくのです。

主はそれをすべて
受けとめてくださいます。
今日も主の前に素直な
自分でいられますように。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの前に

素直な自分でいられますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】12月4日

神の光によって[ヨブ記 29:1-25]

あのとき、神はともしびを
 私の頭上に照らし、
神の光によって私は闇の中を歩いた。
            ヨブ記 29:3

ヨブは神様が自分を
守ってくださった昔の日々を
懐かしみます。

神様の光に照らされ、
闇の中を歩いていた頃を。
神様との親しい交わりを
思い出すのです。

また彼は人々から認められ、
人々の必要のために、
様々な良い行いをしていました。

彼は本当に幸せでした。
でも傲慢になることなく、
主を恐れていたのです。

彼は5節で言います。
「全能者がまだ私と
ともにおられたとき」と。

ヨブは今、主が遠くに
おられるように感じていたのです。
もう主が自分を守ってくださる日々は
来ないのではないかと思っていた。

でもなお彼は主を呪いません。
主に不平不満をぶつけ、
「神はどこにいるのか」と
叫ばない。

静かに主がしてくださった
みわざを思い起こすのです。
私たちも日々の歩みの中で
主が遠くに感じるときがあります。

自分の思うように事が進まないとき、
人から中傷されるとき。
でも主は決して私たちから遠くのところに
おられるのではありません。

主はどんなときにも
私たちの近くにおられ、
私たちをご自身の光で照らし
続けてくださいます。

その光を見失うことなく、
主の助けを待ち望むことが
できたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、暗闇の中をあなたの光によって

歩んでいくことができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】12月3日

知恵とは、、[ヨブ記 28:1-28]

「見よ。主を恐れること、
 これが知恵であり、
 悪から遠ざかること、
 これが悟りである」
          ヨブ記 28:28

ヨブは知恵がどこで見つかるか、
悟りがある場所はどこか、
と自問します。

そして神様こそ知恵の道を
知っておられ、すべてのことを
神様が決められたと
ヨブは語るのです。

さらに主はヨブに言われます。
主を恐れることが知恵であり、
悪から遠ざかることが
悟りであると。

主を恐れるとは、ただ単に
怖がることではありません。
主をいつでもどこでも、
認めて生きること。

私たちは油断すると、
すぐに主を忘れてしまいます。
自分のことばかりを考え、
悪い方向に向かってしまう。

だから悪から遠ざかり、
主を見上げて歩むように、
主はいつも私たちを励まし、
導いてくださるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたを恐れ、

悪から遠ざかって歩めますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】12月2日

自分の義を[ヨブ記 27:1-23]

私は自分の義を堅く
  保って手放さない。
          ヨブ記 27:6

ヨブは自分の苦しみが
神様からのものであると語ります。
しかし彼は神様を呪わないのです。

自分の誠実さを保ち、
自分の義を手放しません。
なぜでしょうか。

それは主なる神様こそ
唯一の救いであると
彼が信じていたからです。

確かに彼は苦しみの
意味が分からず、
神様の前に嘆き、
悩んでいます。

でも絶望せずに耐え忍ぶのです。
このヨブの忍耐と信仰を
神様は認めてくださいます。

私たちも様々なチャレンジの中で
耐え忍び、主に信頼して
歩むことができるよう
ともにお祈りしていきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私に耐え忍ぶ心と

あなたへの信頼を増し加えてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】12月1日

御力によって[ヨブ記 25:1-26:14]

神は御力によって海を鎮め、
           ヨブ記 26:12

ビルダデは自分を義とするヨブに
人がどうしてきよくあるかと
反論するのです。

彼の言っていることは
一理あるでしょう。
でもビルダデには自分が神様の前に
きよくありたいという思いが見えない。

ヨブはきよくありたいと願った。
そのために彼は神様に祈り、
悪と戦ったのです。

それだけでなくヨブは、
神様の力を知り、
主の主権を認めていました。

しかしヨブは主のすべてを
知っているとは思っていないのです。
自分たちが見聞きしていることは、
神様についての一部であること。

それでも主は御力によって
嵐を鎮められます。
イエス様もそうでした。

そして私たちの人生の嵐も
鎮めて下さるのはイエス様。
理解できないことも多々ありますが、
主が私たちを守ってくださいます。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、嵐を鎮めてくださる

あなたに信頼して歩みます。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。