酸いぶどう
主が愛し、選ばれたイスラエルの民。
彼らが良い実を結びこと、
主の栄光を現わすことを
主は願っておられた。
しかしイスラエルの民は主を裏切る。
そのため彼らはかがめられ、低くされる。
さらに低くされた彼らを主は
そのままにされない。
彼らを再び集め、主によって満たされる。
私たちも主に低くされるほど、
主によって満たされることを覚えることができる。
父よ、良い実を結ぶ者とさせてください。
あなたの恵みによって満たされることを感謝します。
こうして人間はかがめられ、人は低くされる。
高ぶる者の目は低くされる。
イザヤ5:15
避け所、隠れ家
シオン・エルサレムに対する
さばきが預言される中、4:2節以降、
主のいやしときよめについて語られる。
「主の若枝」はメシアのことだと言われているが、
メシア・救い主によって、主に選ばれ、
残された人々は聖なる者、生きる者とされる。
それだけでなく、出エジプトの後、
主が昼は雲の柱、夜は火の柱の中で
イスラエルの民の前を進まれたように、
昼も夜も彼らの避け所、隠れ家となってくださる。
主は同じように私たちに立ち返る心を与え、
立ち返った私たちをキリストのゆえに
聖なる者としてくださり、
常にともにいて、守ってくださる。
父よ、あなたが昼も夜も私たちとともにいて
私たちの前を進んでくださることを感謝します。
その日、主の若枝は麗しいものとなり、栄光となる。
地の果実はイスラエルの逃れの者にとって、
誇りとなり、輝きとなる。
イザヤ4:2
支え、頼みが除かれる
イスラエルの民が支え、頼みとしていたすべてが
主によって除かれる。
「人間に頼るな」(イザヤ2:22)と語られるのに、
どこまでも彼らは主に立ち返らず、
主に拠り頼まず、人を求める。
罪はあらわにされ、
顔つきにも表れる。
なぜ人は罪を犯し、つまずき、倒れてもなお
主に逆らうのか。
それは罪が主を見えなくしているから。
つまずき、倒れても、
主のもとに帰ることができるのは、主の恵み。
父よ、罪によってあなたが見えなくなっていました。
そんな私たちをあわれんでくださり、
キリストによって罪を取り除いてくださったことを
ありがとうございます。
まことに、見よ、万軍の主、
主はエルサレムとユダから、
支えと頼みになるものを除かれる。
イザヤ3:1
公正によって
主は悪い行い、主に敵対するものを
そのままにされない。
悪という悪をすべて取り除かれる。
そして正義と忠実な神の国を完成してくださる。
背く者は破滅し、主を捨てる者は消え失せるとは、
とても厳しいさばきのことば。
けれどたださばきだけを告げられるのではなく、
主はご自身に立ち返る者を
義によって贖ってくださる。
いつも自分は大丈夫だと安心するのではなく、
つねに主に立ち返り、
主の正しさにより頼むものでありたい。
父よ、あなたの正しさの前に、立つことができない者です。
けれどあなたに立ち返る私たちを
あなたの義で贖ってくださることを心から感謝します。
シオンは公正によって贖われ、
その町の立ち返る者は義によって贖われる。
イザヤ1:27
雪のように白く
主なる神様によって選ばれ、特別に愛され、
祝福とされたイスラエルの民。
けれどその歩みは常に主なる神様を捨て、
侮り、背を向けていた。
それにも関わらず、表面的に主を礼拝し、
主の命令を守っているかのように振る舞っていた。
そんな心の伴っていない礼拝、ささげものは
主にとって重荷となり、主を疲れ果てさせた。
このように罪に罪を重ねる彼らに主は
悔い改めて、悪い行いを取り除くように命じられる。
また「さあ、来たれ」とご自身のもとに招かれる。
主に近づく時、主に立ち返る時、
主は私たちの罪をきよめてくださる。
私たちは雪のように白くされる。
父よ、自己満足ではなく、あなたに喜ばれる礼拝、
行いをすることができるように導いてください。
「さあ、来たれ。論じ合おう。─主は言われる─
たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、
雪のように白くなる。
たとえ、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。
イザヤ1:18
謙遜を身に着ける
へりくだる、謙遜であることはむずかしい。
へりくだるよりも常に高慢である私。
自分だけでは、謙遜であり続けるのは無理。
だから主なる神様は私を
半ば強制的にへりくだらせてくださる。
その最中にあっては、喜びではないが、
主は確かな恵みを与えられる。
自分で生きるのではなく、
主にゆだねる祝福で満たしてくださる。
父よ、高ぶった私をあわれんでください。
またあなたに高慢がくだかれたとき、
あなたにいっさいをゆだねることができますように。
あなたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。
神があなたがたのことを心配してくださるからです。
Ⅰペテロ5:7
キリスト者としての苦しみ
私たちは今、表立ってキリスト者のゆえに
ののしられたり、試みられることは少ない。
でも必ず、そういう時代が来る。
その時、キリストの苦難にあずかっていると
喜べるだろうか。
父なる神様をあがめられるだろうか。
主を知らないと主を否んでしまう弱さがある。
だからこそ今から主のあわれみを求めていきたい。
父よ、私のたましいをあなたに委ねます。
試み、迫害の時、あなたを否むことがないように
私たちをあわれみ、導いてください。
しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、
恥じることはありません。
かえって、このことのゆえに神をあがめなさい
Ⅰペテロ4:16
神のみこころ
救われた私たちは自分の欲望のためではなく、
父なる神様のみこころに生きるように召されている。
父なる神様のみこころとは
罪との関わりを断つこと、
祈りのために、心を整え身を慎むこと。
互いに熱心に愛し合うこと。
賜物を用いて互いに仕え合うこと。
そしてみこころに生きることで、
キリストを通して
父なる神様があがめられる。
父よ、あなたのみこころに生きることができるように、
導いてください。
そしてキリストを通して、
あなたがあがめられますように。
それぞれが賜物を受けているのですから、
神の様々な恵みの良い管理者として、
その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。
Ⅰペテロ4:10
義のための苦しみ
義のため、善を行っての苦しみを
目に見える形で受けることは
今の日本ではあまりない。
けれど今でも世界中で
キリスト者であるがゆえに
苦しみにあっている人はたくさんいる。
戦時中も、多くのキリスト者が迫害された。
でも彼らは恐れることなく、
主をあかしした。
再び同じことが起ったとき、
私は心の中でキリストを主とし、
聖なる方とできるだろうか。
私たちにとっての望みは
正しくない私たちのために
身代わりとなってくださった
正しいキリストが父なる神様の右にいて
とりなしてくださっていること。
そして私たちを父なる神様に導いてくださること。
父よ、正しいキリストが正しくない
私たちの身代わりになってくださったことを感謝します。
どうか義のために苦しむとき、
キリストを思うことができますように。
心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。
Ⅰペテロ3:15
祝福を受け継ぐために
妻が夫に従うのも、
夫が妻を敬うのも、
主が祝福を受け継ぐために、
私たちを召されたから。
祝福を受け継ぐとは、
主の祝福で、人々を祝福すること。
祝福するとは、愛すること、
赦すこと、祈ること、
へりくだること、仕返しをしないこと。
この逆をしてしまいやすい私たち。
そうすると私たちの内に
主の祝福をとどめてしまう。
けれど主の祝福で祝福していくなら、
さらに大きな祝福で満たされる。
主の素晴らしさが現わされる。
父よ、私たちを祝福を受け継ぐために
召してくださったことを感謝します。
どうか、主よ、あなたの祝福を自分のうちに
とどめることなく、
祝福する者としてください。
あなたがたは祝福を受け継ぐために
召されたのです。
Ⅰペテロ3:9