冷静でいれば[伝道者の書 10:1-11]
冷静でいれば、
大きな罪は離れて行くから。
伝道者10:4
突然に攻撃されたり、非難されたり、
欠点や間違いを指摘されると
カッとなり、我を失い、
やり返したり、言い訳したりします。
そんな私たちに伝道者は
支配者が自分に向かって
腹をたてても、その場を
離れるなと語るのです。
私だったら、すぐに逃げ出しそうです。
言い訳をして、どうにかその場を
やり過ごそうとすることでしょう。
しかし私がするのは、
冷静でいること。
焦らず、自分の罪をもみ消さず、
その場にとどまる。
そうするとき私たちは
罪に罪を上塗りすることなく、
罪を犯し続けることがない。
また主の前に多くの罪が
明らかにされるとき、
その罪を認め、悔い改めるなら、
私たちの罪は赦されます。
主が私たちの罪を
もう思い出さないと
約束してくださるのです。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、自らの罪を隠さず、
あなたの赦しに委ねることができますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
静かなことば[伝道者の書 9:11-18]
知恵のある者の静かなことばは、
愚かな者の間での支配者の
叫びよりもよく聞かれる。
伝道者9:17
伝道者はすべての人が時と
機会に出会うと語ります。
でもその時を私たちは
知ることができないのです。
どんな機会がいつ与えられるのか、
知ると少しは不安が
解消されるような気がするのです。
しかし主の時は私たちには隠されています。
また17節で伝道者は知恵のある者の
静かなことばは・・・よく聞かれるとあるのです。
大きな声、威圧的な声は
人を黙らせることがあるかもしれませんが、
決して人の心に届きません。
主の御声はか細い。
それを聞き逃さないために
私たちは静まって、
主の御声に耳を傾ける必要があります。
そして私たちも静かな主のことばを
愛する家族・友人たちに語っていくなら、
いつの日か、主の時にその人たちの心が開かれ、
主を信じることができると信じます。
今日も一日、自らの口から
発することばを一つ一つ吟味しながら
歩んでいくことができたら幸いです。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたの静かなことばに聞き、
あなたの静かなことばを語る者とさせてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
拠り所[伝道者の書 9:1-10]
しかし、人には拠り所がある。
生ける者すべてのうちに
数えられている者には。
伝道者9:4
伝道者はこの世でどんなに誠実に生きても、
どんなに罪を犯しても、
その行き着くところは同じで
死であると語るのです。
これだと私たちの人生は
本当に空しく感じます。
死ぬために、滅びるために、
生きるだけだからです。
それでも彼は人には拠り所があるとします。
それは生ける者すべてのうちに
数えられているときは、
この世を楽しめるからです。
でもただこの世を楽しむだけだったら、
やはり空しさは残ります。
やがて全ての人は死ぬことになるからです。
一方で、「生ける者すべてのうちに
数えられている」とは、
永遠のいのちを持つ者とも
解釈できるでしょうか。
私たちはもう死ぬべき者ではなく、
永遠のいのちを持つ者として、
この世でも歩ませていただいているのです。
これこそ私たちの拠り所。
この拠り所を私たちに与えてくださるために、
主イエス様は約2000年前に
この世に遣わされたのです。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、イエス様によって永遠のいのちを
与えてくださったことを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
神を恐れる者[伝道者の書 8:9-17]
しかし私は、神を恐れる者が
神の御前で恐れ、
幸せであることを知っている。
伝道者8:12
伝道者はこの世の不条理や
空しさを語りながら、
自分が発見した幸せについて
述べます。
それは神を恐れる者が
神の御前で恐れること。
これは神様を怖がるということではなく、
神様を神様として認めることでしょう。
神様を心から礼拝する者こそが
本当の幸せなのだと
彼は色々なことを見聞きして、
悟るのです。
すべてのことを私たちは
見極めることができません。
しかしすべてを主の御手の中にあるので、
私たちは恐れることがないのです。
この恵みを覚えて、
主を恐れる者として、
主の御前で恐れをもって
歩んでいきましょう。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたを恐れることが
何よりも幸せであることを信じます。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
聖書箇所:伝道者の書7章13-20節
タイトル:正しすぎてはならない
知恵ある者の顔は[伝道者の書 8:1-8]
人の知恵は、その人の顔を輝かせ、
その顔の固さを和らげる。
伝道者8:1
伝道者は「知恵る者とされるに
ふさわしいのはだれか」と
問いかけています。
その答えとして、後半で彼は
人の顔を輝かせ、顔の固さを
和らげる(変える)人だと
語るのです。
知恵をもって主を知り、
主に近づく人は、
主によって顔が輝き、
主の栄光を反映させます。
何も分からないと
嘆くことから自由になり、
顔の固さが和らぐことでしょう。
柔和さが与えられるのです。
私たちの顔はどうでしょうか。
主にあって顔が輝き、
柔和な顔になっているでしょうか。
今週も知恵をいただいた者にふさわしく、
主を知る喜びで満たされ、
柔和な顔で歩ませていただきましょう。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、あなたを知る喜びに満たされ、
柔和な心を与えてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
9時30分より ”イズミンキッズ”
10時30分より ”主日礼拝” が持たれます。
*YouTubeでのライブ配信もします。
→ こちらよりご参加ください。
真っ直ぐに造られたが、、[伝道者の書 7:15-29]
神は人を真っ直ぐな者に
造られたが、人は多くの理屈を
探し求めたということだ。
伝道者7:29
伝道者は21節で「人の語ることばを
いちいち心に留めてはならない」と
語ります。
色々な人が色々なことを
言ってくるのです。
その度に私の心は揺さぶられ、
悩んだり、憤ったり。
私も余計なことを言って
相手を悩ませたり、
憤らせたりすることがあります。
人のことばにいちいち心に留めず、
自らが語ることばに気をつけること、
それが私たちにとって
大切な生き方なのでしょう。
また29節にあるように、
私たちは多くの理屈を探し求め、
心が素直になっていません。
物事を斜めからみて、
自ら墓穴を掘ってしまうのです。
神様は私たちを真っ直ぐな者、
主を真っ直ぐに見る者として造られました。
ですから様々な周りの声、
内なる声に惑わされることなく、
主に向かって歩んでいきたいと願います。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、真っ直ぐあなたに向かって
歩むことができますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
事の終わりは、、、[伝道者の書 7:1-14]
事の終わりは、
その始まりにまさり、
忍耐は、うぬぼれにまさる。
伝道者7:8
伝道者は死ぬ日は
生まれる日にまさる、
祝宴の家に行くより
喪中の家に行くほうがよいと語ります。
私たちは、生まれることを喜び
お祝いを楽しみにするのです。
死をネガティブにとらえています。
悲しみだってない方が良いのです。
けれど伝道者は始まりより、
終わりを意識するように、
楽しみよりも、悲しみ、
悩みをポジティブにとらえます。
なぜでしょうか。
それは死や悲しみを通して
私たちが自分の無力さを知り、
謙遜になるからです。
へりくだる心ほど、私たちにとって
大切なことはありません。
低くされることで、
私たちは主によって高くされるからです。
悲しみ、傷みの中で、
ただ落ち込んで悩むのではなく、
主のことを思い、主を見上げて
立ち上がらせていただきましょう。
主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父なる神様、へりくだって、低くされ、
あなたを見上げて歩めますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
2022年12月24日(土)に以下のように、
イズミンキッズ・クリスマスを行います。
どなたでも参加できます~