【日々のみことば】12月23日

行いと真実をもって[ヨハネの手紙第一 3:13-24]

私たちは、ことばや
 口先だけではなく、
行いと真実をもって愛しましょう。
          Ⅰヨハネ 3:18

父なる神様、イエス様は、
ただ口先だけで私たちを愛すると
言われたわけではありませんでした。

父なる神様は私たちのために
愛する御子イエス様を
この世に遣わしてくださいました。

そのイエス様は私たちのために
ご自分のいのちを
捨ててくださったのです。

だからこそヨハネは私たちも
ことばや口先だけではなく、
行いと真実をもって
愛するように命じます。

この父なる神様、イエス様に
ならうように愛することは、
私たちには難しいですし、
本来の私たちでは不可能です。

だからこそ私たちのすべきことは、
行いと真実をもって
愛せるように祈り、
一歩踏み出すことでしょう。

今日も私たちの周りには、
あなたの愛を待っている人が
たくさんいます。
主よ、私たちに愛を下さい。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、行いと真実をもって愛せますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】12月22日

神の子ども[ヨハネの手紙第一 3:1-12]

愛する者たち、私たちは
 今すでに神の子どもです。
          Ⅰヨハネ 3:2

私たちは創造の初め、
神のかたちに造られましたが、
罪によって神のかたちが著しく
破壊され、罪の奴隷となります。

そんな私たちを罪の奴隷から
解放し、救うために、
イエス様を父なる神様は
遣わしてくださったのです。

このイエス様によって私たちに
与えられた素晴らしい愛のゆえに
私たちは神の子どもとされました。

神の子どもである私たちは、
日々聖霊なる神様の働きによって
キリストの似姿に変えられるのです。

そしてキリストが再臨された時、
私たちは神の子としてのふさわしさに
完全に変えられます。
キリストをありのまま見る者となるのです。

これの素晴らしい約束に
望みをおいているなら
私たちはキリストがきよいように
きよく生きるはずだと語ります。

確かに私たちは自らの努力で
きよくなることはできないのです。
私たちにはまとわりつく罪が
たくさんあるからです。

でもそれらを脱ぎ捨て、
主をいつも心の中心に
お迎えするならば、
主は私たちを清めてくださるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの子どもとされたことを感謝します。

またキリストの再臨の時にキリストに
 似たものとなることを心から待ち望みます。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】12月21日

主のうちにとどまる[ヨハネの手紙第一 2:12-29]

もし初めから聞いていることが
 とどまっているなら、
あなたがたも御子と御父のうちに
 とどまります。
             Ⅰヨハネ2:24

ヨハネは偽り者、反キリストと
キリストにある仲間との違いを
ここで語っています。

23節には御子を告白する者は、
御父を持っているとするのです。
これはみことばにとどまり、
御子と御父のうちにとどまること。

このように御子と御父のうちに
とどまることが御子が
約束してくださった
永遠のいのちだと語られるのです。

御子、御父のうちにとどまるとは
どういうことでしょうか。
それは世と世にあるものを
第一としないということ。

イエス様を信じて、造り変えられても
なお世の欲に縛られているなら、
私たちはキリストのうちに
とどまっていることになりません。

逆にみことばに聞き、
神様のみこころを行うとき、
私たちはキリストにあって
正しく生きることができます。

そして愛する兄弟姉妹たちと
キリストにある仲間として、
主に仕えることができるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、みことばに聞き、

みことばに生きることで、
 キリストのうちにとどまれますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】12月20日

義なるキリスト[ヨハネの手紙第一 2:1-11]

もしだれかが罪を犯したなら、
 私たちには、御父の前で
とりなしてくださる方、
 義なるイエス・キリストがおられます。
             Ⅰヨハネ2:1

ヨハネが手紙を書いたのは、
イエス様のことを分かち合い、
交わりを持つためとともに
人々が罪を犯さなくなるためでした。

でもヨハネは私たち人間は完全に
罪を犯さなくなることは
ないということを
よく知っていたのです。

ですからヨハネはもし誰かが
罪を犯したなら、
父なる神様の前で
とりなしてくださる方がいる。

そのお方こそ、
義なるイエス・キリストだと
明らかにします。

私たちは自らの罪のゆえに
父なる神様の御怒りを
受けるべき者たちでした。

そんな父なる神様の怒りを
宥めるための宥めのささげ物として
イエス様は十字架でかかって
死んでくださいました。

このイエス様の宥めのゆえに
今私たちの罪は赦され、
主の前に義と認められているのです。

それだけでなくイエス様は日々
罪を犯してしまう私たちのために
父なる神様の前で
とりなしていてくださいます。

このイエス様のとりなしのゆえに
私たちは今も悔い改めて、
主の前に生きることができているのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イエス様の尊いとりなしによって

生かされていることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】12月19日

交わりを持つように[ヨハネの手紙第一 1:1-10]

私たちが見たこと、聞いたことを、
 あなたがたにも伝えます。
あなたがたも私たちと交わりを
 持つようになるためです。
           Ⅰヨハネ1:3

ヨハネは手紙の冒頭で、
手紙を書いている目的を記します。
それはいのちのことば、永遠のいのちを
証しするためでした。

いのちのことば、永遠のいのちとは、
私たちの救い主イエス様のこと。
ヨハネはイエス様と過ごした三年半で
自分が見て、聞いたことを伝えるのです。

それは手紙の読者たちと
交わりを持つためでした。
その交わりとは御父と御子イエス様との
交わりだと述べます。

イエス様のことを証しして、
分かち合うことこそ
私たちの交わりの中心なのです。

私たちがイエス様を見て、
イエス様のことばを聞いたことを
喜んで分かち合うならば、
そこに喜びが満ちあふれることでしょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イエス様を見て、みことばに聞いて、

それを分かち合うことができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】12月17日

あなたのパンを[伝道者の書 11:1-10]

あなたのパンを水の上に投げよ。
 ずっと後の日になって、
あなたはそれを見出す。
           伝道者11:1

私たちにとってパンを水の上に
投げるような無意味とも
思えることがあります。

でも伝道者は積極的にパンを
水の上に投げるように、
勧めるのです。

そうすれば後の日に、
それを見出すと。
無意味と思えることに、
意味が与えられるのです。

すべてのことがともに
働いて益となると
ローマ人への手紙8章にある通りです。

今日も一日、パンを水の上に投げ、
主がそれらを用いて
益としてくださることを
待ち望みましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、無意味と思えることも

あなたが働いてくださり、
 益としてくださることを信じます。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】12月16日

心の中でさえ[伝道者の書 10:12-20]

心の中でさえ、
 王を呪ってはならない。
           伝道者10:20

今日のみことばを読むと、
「人はうわべを見るが、主は心を見る」と
主がサムエルに語られたことばを
思い出します。

私たちの心を主は見られ、
私たちの心にあることが、
口から出てしまうのです。

箴言にも「何を見張るよりも、
あなたの心を見守れ」とあります。
私たちは常に自分の心を見守り、
心を主によって清めていただく必要があるのです。

心の中から色々な感情が
湧き出てきたとき、
それらを主に委ねて、
投げ捨てていきましょう。

そのとき私たちの心に
いのちの泉がわき、
キリストのいのちによって
生かされるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私たちの心を見守り、

悪い感情をあなたに委ねることができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。