主がともにおられ
エジプト人に売られたヨセフ。
そこでも主はヨセフとともにおられ、
ヨセフのやることすべてを
成功させてくださった。
一方、ヨセフも罪・誘惑に対して
断固として戦う。
祝福してくださる神様の前に
罪を犯すことができないと。
しかしヨセフは無実の罪で、
監獄に置かれる。
そこでも主は彼とともにおられ、
彼のやることをすべて
成功させてくださった。
主はどこにいってもヨセフを見捨てず、
彼を祝福してくださっている。
私たちも自分の思い描くような
歩みでなくても、
主がともにいてくださることを
覚えて歩んでいきたい。
父よ、あなたがいつもともに
いてくださることを心から感謝します。
しかし、主はヨセフとともにおられ、
彼に恵みを施し、
監獄の長の心にかなうようにされた。
創世記39:21
人の計画と主の御旨
ユダは自分の3番目の子どもが
死ぬことがないように、
タマルから遠ざけた。
しかし主はタマルを顧みられ、
ユダによって二人の子どもを産む。
その一人ペレツの家系から、
ダビデが誕生する。
主のご計画は私たちには測り知れない。
主はすべてのことを働かせて益としてくださる。
主は私たちの失敗、弱さも用いられる。
父よ、あなたのみこころを教えてください。
あなたが私たちを用いてくださることを感謝します。
ユダはこれを調べて言った。
「あの女は私よりも正しい・・・」
創世記38:26
憎しみにゆえに
憎しみが増すと、殺そうと企むようになる。
憎しみを心に大切に仕舞い込むと、
私たちの心はむしばまれていく。
兄弟たちは父親が嘆き苦しむのを前にして、
正気でいられたのだろうか。
憎しみは愛を冷え切らせてしまう。
ヨハネも手紙の中で
「兄弟を憎む者はみな、人殺しです」と
語っている。
憎しみという感情が湧いてきたとき、
その感情を仕舞い込んだり、
無視するのではなく、
主にゆだねていきたい。
父よ、憎しみをもあなたに
委ねていくことができますように。
私たちのうちに愛を増し加えてください。
見ろ。あの夢見る者がやって来た。
創世記37:19
ヨセフの見た夢
ヨセフは兄たちの気持ちを全く考えず、
自分に与えられた夢について、二度語る。
そのため、兄たちのねたみ、憎しみは
増大する。
ねたみはカインとアベルのときから、
ずっと人の心を悪に引きずり込む。
ヨセフと兄たちは、この後、徐々に
主によって砕かれ、低くされていく。
私たちも主によって砕かれ、低くされる。
その過程は決して楽なものではないが、
義という平安の実を結ぶ者となる。
父よ、私たちの高慢さ、ねたみ、
様々な悪を砕いて下さり、
あなたにある平安を与えてください。。
ヨセフは夢を見て、それを兄たちに告げた。
すると彼らは、ますます彼を憎むようになった。
創世記37:5
バビロンからの使者
病気が主によって癒やされた
ヒゼキヤのもとに、バビロンから
使者が遣わされます。
ヒゼキヤは病気が治って、
気持ちが高揚し、油断したのでしょう。
バビロンの使者を喜んで迎え、
国の財産をすべて見せてしまうのです。
これを受けて主は南ユダがバビロンに滅ぼされ、
捕囚されると告げられます。
この預言を聞いても、
ヒゼキヤはショックを受けないのです。
自分の生きている間は安全だと思い、感謝する。
ヒゼキヤの姿を通して教えられることは、
主の恵みを受けた後の油断。
彼は自分が主によって癒やされたことに
安住し、誰彼構わず、
すべてをオープンにしてしまうのです。
私たちも主の恵み、大きな祝福を受けた後、
油断せずに、へりくだっていたいと願います。
父よ、あなたの恵み、いやしを心から感謝します。
私たちがいつでも油断せず、
目を覚ましていることができますように。
私の家の中のすべての物を見ました。
私の宝物倉の中で彼らに
見せなかった物は何一つありません。
イザヤ39:4
祈りを聞かれ、涙を見られる主
主はイザヤを通して、
ヒゼキヤに死を宣告されます。
それで彼は大声で泣き、祈るのです。
その祈りを聞かれ、涙を見られた主は、
寿命を15年加えてくださいます。
ヒゼキヤは賛美の中で
生きることも、死ぬことも、
苦しみも、救いも、
すべて主の御手にあると
告白しています。
そして救われ、生かされている者の使命、
それは主をほめたたえ、
賛美することであるとするのです。
私たちが今、生かされているのも、
苦しみにあうのも、
主のみこころです。
そして私たちは生かされている限り、
主をほめたたえるように召されているのです。
父よ、私たちがあなたに生かされている限り、
あなたをほめたたえていくことができますように。
主は私を救ってくださる。
私たちは生きている日々の間、
主の宮で琴を奏でよう。
イザヤ38:20
祈りの答え
主をないがしろにして、
高慢になったアッシリアへの
主のさばきが告げられる。
と同時に、今苦難の中にある南ユダに
主の救いが確かにあることが約束される。
これは彼らの信仰ではなく、
万軍の主の熱心が成し遂げてくださるわざ。
主は南ユダの都を守り、救ってくださる。
私たちの救いも万軍の主の熱心による。
主は暗闇の中で苦しみ、
多くの惑わしから私たちを救い、
多くの実を結ぶ者とさせてくださった。
父よ、あなたの熱心によって
救われたことを心から感謝します。
わたしはこの都を守って、これを救う。
わたしのために、わたしのしもべダビデのために。
イザヤ37:35
ヒゼキヤの祈り
ヒゼキヤはアッシリアの王の手紙を読み、
直ぐに主の宮に行き、祈ります。
主の栄光を仰ぎ見て、
主の救いを求めるのです。
私たちの周りにも、様々な惑わしがあります。
それらは私たちの心を不安にさせるのです。
そんなとき、すぐに主に祈ることができたら、
幸いです。
主だけが私たちの救いで、
決して私たちに悪いことはされないからです。
父よ、惑わしに屈することなく、
直ぐにあなたに祈る者とさせてください。
ヒゼキヤは、使者の手からその手紙を
受け取って読み、主の宮に上って行き、
それを主の前に広げた。
イザヤ37:14
敵の惑わし
アッシリアのラブ・シャケは
南ユダの人々に
エジプトに拠り頼んでも、
主の救いに期待しても
アッシリアから救い出されないと叫ぶ。
その脅し、惑わしに人々は、
答えない。沈黙する。
沈黙は大きな力となる。
焦って口から出ることばは、
さらに自分を追い込んだり、
不安が倍増することがあるから。
語るに遅く、
主の前に静まる者とさせていただきたい。
父よ、様々な声が私たちを惑わします。
その声に沈黙し、
あなたの声を聞く力を与えてください。
人々は黙って、彼に一言も答えなかった。
イザヤ36:21
贖われた者の幸い
主が来られるとき、
救いを成し遂げられるとき、
人々は癒され、
いのちの泉が湧く。
また聖なる道を歩み、
約束の地シオンに帰る。
もう悪に引きずられることも、
主の裁きで悲しみ嘆くこともなくなる。
私たちも道であり、真理であり、
いのちであるイエス様を通して、
父なる神様のみもとに行くことが
許されている。
そして後の日、救いの完成の時、
死も悲しみもない新しい天地において
いつまでも主のみもとで憩うことができる。
父よ、あなたの確かな救いの約束、
その恵みを心から感謝します。
どうか私たちが聖なる道を
歩み続けることができるように導いて下さい。
そこに大路があり、
その道は「聖なる道」と呼ばれる。
イザヤ35:8