神の国を相続する
不正を甘んじて受けることは
不可能に思える。不正を許せない。
直ぐに反論したり、攻撃したり。
一方で、私も不正を行い、
だまし取っている。
そのことに気づかない。
いや自分に対して甘い。
このような者は神の国を
相続できないとは厳しい。
確かに私たちはキリストの贖いと
御霊の働きによって、
罪がきよめられ、義と認められた。
私たちの生き方は変えられた。
だからこそ私たちは不正を甘んじて受け、
また不正を行い続けるのではなく、
自らを律することができる。
このような生き方を選び取る力を
主から日々与えられるように祈る。
これが神の国を相続する者とされた
私たちの願い。
父よ、不正を甘んじて受け、
不正を行わないことに難しさを感じます。
今、キリストにあって聖とされ、
義とされた私たち。
どうか神の国を相続する者として
ふさわしい生き方ができるように
導いてください。
しかし、主イエス・キリストの御名と
私たちの神の御霊によって、
あなたがたは洗われ、
聖なる者とされ、
義と認められたのです。。
Ⅰコリント6:11
誠実と真実
私たちのうちには古いパン種が
まだまだたくさん残っている。
救われる以前から持っていた
習慣・考え・性質に
引きずられてしまうことがある。
本当に救われて、新しくされたのか
疑いたくなるような悪が湧いてくる。
それらを取り除くようにパウロは命じる。
どうすれば良いのか。
主の前に告白し、
主イエス・キリストのゆるしに委ねることで。
そのように一つ一つ古いパン種を
取り除いていくとき、
主の前に誠実で真実な者とさせていただける。
父よ、私のうちにある古いもの、
悪を明らかにしてください。
それらを大切にしまっておくのではなく、
あなたの前に自らを明らかにして、
主イエス様の十字架の赦しに
委ねることができますように。
新しいこねた粉のままでいられるように、
古いパン種をすっかり取り除きなさい。
あなたがたは種なしパンなのですから。
私たちの過越の子羊キリストは、
すでに屠られたのです。
Ⅰコリント5:7
神の国は力にある
思い上がり、自分が王となり、
キリストなしで満ち足りる。
低く、弱くなるように召された私たち。
けれどそれとは正反対に歩もうとしている。
主のみこころに生きると告白しながら
自分の願い、思いを優先している。
ことばだけが一人歩きし、
自分の思い・行いと遊離している。
そんな私にパウロは
「神の国は、ことばではなく力にあるのです」
と語る。
ことばと行いがひとつとなるとき、
主の力に満たされる。
それがキリストに倣う、パウロに倣う生き方。
父よ、私は高慢な者です。
自分が王となっています。
どうか私のことばと行いが一つとなり、
あなたの前に低く低くさせてください。
神の国は、ことばではなく力にあるのです。
Ⅰコリント4:20
キリストのしもべ
私たちは神の宮、神の御霊が住んでおられる。
すなわち私たちは聖とされている。
このような私たちに求められているのは、
忠実であるかどうか。
それにしても、うわべではなく、
心を見られる主の前に
忠実、真実であることに難しさを感じる。
では主の前に忠実、真実であるとはどういうことか。
それは自分を誇らず、主を誇りとすること。
自分の知恵に頼らず、主に委ねること。
その時、私たちは主の前に忠実であることを
喜びとする。
父よ、今 私たちのうちに御霊が
住んでくださることを覚え、感謝します。
どうか自らを誇らず、あなただけを誇りとし、
忠実な者とならせてください。
人は私たちをキリストのしもべ、
神の奥義の管理者と考えるべきです。
その場合、管理者に要求されることは、
忠実だと認められることです。
Ⅰコリント4:1-2
キリストを土台とする
キリストを土台とする私たちを
父なる神様は成長させてくださる。
一方で、どのように成長するか、
どのような働きをして実を結ぶかは
私たちに委ねられている。
そして終わりの日にすべてが
明らかにされる。
一つ確かなことは
キリストを土台とする私たちは
どんな建物であろうと助かること。
だからといって安心して
適当に生きれば良いというわけではない。
この世において良い実を結び、
主の前に真実の歩みをするなら、
私たちは主の恵みと喜びで満たされる。
主がともにいてくださると日々、
実感しながら歩むことができる。
これが私たちに与えられた特権。
そして終わりの日に次のように告白できたらと願う。
「私たちは取るに足りないしもべです。
なすべきことをしただけです」
父よ、あなたはキリストを土台としている
私たちを成長させて下さるお方です。
その成長を拒むことなく、
あなたにあって良い実を結ばせて下さい。
だれかの建てた建物が焼ければ、
その人は損害を受けますが、
その人自身は火の中をくぐるようにして
助かります。
Ⅰコリント3:15
御霊に属する
父なる神様は愛するひとり子イエス様を
十字架につけられることで、
私たちの救いを完成してくださった。
これを知り、信じることができるのは、
父なる神様が御霊によって
啓示してくださったから。
そして御霊によって私たちは
キリストの心を持つ者とされた。
キリストの心、キリストの思いが
私の思いと一つになる。
これは自分でどんなに頑張っても難しい。
自我が強いから。
けれど御霊が私たちの自我を
砕いてくださり、キリストの心を
心とする者へと一歩一歩
導いてくださる。
父よ、あなたの恵みによって
御霊に属する者としてくださり、
ありがとうございます。
主よ、私たちの自我を砕いてくださり、
御霊によってキリストの心を
心とする者として日々導いてください。
それを、神は私たちに御霊によって
啓示してくださいました。
御霊はすべてのことを、神の深みさえも
探られるからです。
Ⅰコリント2:10
誇る者は主を誇れ
神様の御前で誇ることなどあるのか。
思い巡らす中で、ルカの福音書18章の
イエス様のたとえ話に登場する
パリサイ人の祈りが示された。
「神よ。私がほかの人たちのように、
奪い取る者、不正な者、
姦淫する者でないこと、あるいは
この取税人のようではないことを
感謝します。
私は週に二度断食し、
自分が得ているすべてのものから、
十分の一を献げております。」
彼は神様の前に自分がいかに立派で、
信仰深いかを自慢する、誇る。
こんな分かりやすく自分を誇らないまでも
同じようなことは考えている。
誇るべきは主、喜ぶべきは主。
自分のしたことを一つ一つ数えるのではなく、
主の恵みを一つ一つ数えて感謝する者でありたい。
父よ、誇る者は主を誇れと、今日、
私たちの高慢さを明らかにしてくださり、
ありがとうございます。
主よ、どうか私たちがキリストにあって
自らを低くして歩むことができるように
導いてください。
肉なる者がだれも神の御前で
誇ることがないようにするためです。
Ⅰコリント1:29
心を一つに
自分ではなく、キリストにつなげる。
これをしっかり意識していないと
すぐに自分の仲間を作り、
考えの合わない人を排除したくなる。
同じ心、同じ考えで一致することは
簡単ではない。
それは誰もが自分の方が
正しいと思っているから。
そんなバラバラな心を
主イエス様は一つとしてくださるために
十字架で死んでくださった。
今、私たちはキリストを通して
一つとされている。
キリストが何を考え、望んでおられるかを
一人一人が考え、行動していくとき、
私たちは一つとされていく。
父よ、自分を絶対化するのではなく、
人々を自分につなげるのではなく、
キリストにあって一つとさせてください。
さて、兄弟たち、
私たちの主イエス・キリストの名によって、
あなたがたにお願いします。
どうか皆が語ることを一つにして、
仲間割れせず、同じ心、
同じ考えで一致してください。
Ⅰコリント1:10
キリストとの交わりに
父なる神様の恵みは、キリストにあって
みことばと父なる神様、子なるキリストを
知ることにおいて豊かにされたこと。
みことばによって、慰められ、
悔い改める心が与えられるのは、
父なる神様の恵み。
父なる神様にイエス様のお名前で
祈ることができるのも、
父なる神様の恵み。
また私たちは父なる神様に召されて
イエス様との交わりに入れられた。
イエス様との交わりとは
三位一体の神様を知り続け、
愛し続けること。
そしてキリストのからだなる
教会の一人一人を愛し続けること。
このように主を愛し、
隣人を愛する交わりに生きる力が
与えられているので、
終わりの日に
責められるところがない者とされる。
父よ、あなたを知り、
みことばを受け入れることが
あなたの恵みです。
そして今、キリストとの交わりの中に
入れられていることを感謝します。
それでも愛に乏しいものです。
愛を増し加えてくださり、
愛に生きる者としてください。
神は真実です。その神に召されて、
あなたがたは神の御子、
私たちの主イエス・キリストとの
交わりに入れられたのです。
Ⅰコリント1:9
打ち砕かれ、低くされる
高慢になり、主に背き続けた民。
そんな彼らを主は打ち砕かれ、低くされる。
自分の頼りとしていたものが
すべて失われ、
自らを誇りとしていた彼らは
へりくだらされる。
普通に考えたら悲惨、絶望。
けれど打ち砕かれ、
低くされる道は永遠。
主なる神様に近づく道。
私たちも打ち砕かれ、低くされる。
それは楽で、
すぐに受け入れられるものではない。
けれど打ち砕かれ、低くされることは
私たちにとって幸い。
なぜなら低く貧しくされればされるほど、
私たちは神を見る者とされるから。
そして主を見る私たちは
主を心から賛美し、主を喜ぶものとされる。
父よ、あなたは私たちを打ち砕かれ、
低くされるお方。
それは私たちにとって楽な道ではありません。
けれどあなたによって低くされる道は、
永遠の道であり、私たちにとって幸いです。
あなたを知ることを喜びとできますように。
神が立ってご覧になると、
地は揺るぎ、国々は震え上がる。
とこしえの山は打ち砕かれ、
永遠の丘は低くされる。
しかし、その道筋は永遠だ。
ハバクク3:6