捜しておられる主[ルカ15:1-10]
・・・一人の罪人が悔い改めるなら、
悔い改める必要のない九十九人の
正しい人のためよりも、
大きな喜びが天にあるのです。
ルカの福音書15:7
パリサイ人たちは、イエス様が罪人を受け入れ、
食事をしているのを納得できません。
そんな彼らにイエス様は二つのたとえを
語られるのです。
そのどちらも無くなったもの、
失われたものを見つけるまで捜し、
見つけたら大喜びするということです。
これは罪人であった私たちを
主なる神様が捜してくださり、
見つけ出してくださったことを
意味しているのでしょう。
それにしてもなぜ主なる神様は、
私たちを捜されるのでしょうか。
主なる神様は全知全能の神様。
私たちがどこにいるかなど、
すべてご存じのはずです。
これは主なる神様に背を向ける私たちに
主なる神様が絶えず
「あなたはどこにいるのか」と
叫び続けてくださっているということでしょう。
その声に応答するまで
主なる神様にとって私たちは失われた存在。
だから私たちが主の声に応答し、
父なる神様に心を向けるならば、
父なる神様は喜んで私たちを迎えて、
天において大宴会が開かれます。
今日も父なる神様は叫び続けて、
心の戸をたたき続けてくださるのです。
「あなたはどこにいるのか」と。
父よ、あなたが私たちを見つけてくださり、
私たちを救ってくださったことを心から感謝します。