【日々のみことば】5月12日

純化されたみことば

主のみことばの純粋さ、きよさ
それを知り、喜ぶためには、
私たち自身が純粋に、きよくなる
主を求める。

みことばを読んでも全く分からないことがある。
主が何を語っておられるのか理解できず、
途方に暮れる。
そんな苦しみの経験を何度もしている。

けれど分からないながら
みことばを読み続けると
不思議と一筋の光が見えてくる。

「あ~主は今日、このことを教えてくださったのか~」

この感動、感激が
私たちをさらに主に近い者としてくださる。

今日も、主は私たちをきよめ
私たちのために立ち上がってくださる。

父よ、あなたのみことばは純粋で、きよいです。
そのため心が濁っているとき
全く心に入ってこないことがあります。
主よ、私の心の中にある不純物を取り除き、
あなたのみことばを聴くにふさわしくしてください。

  主のことばは 混じり気のないことば
    土の炉で七度試され 純化された銀
              詩篇12:6

【日々のみことば】5月11日

御顔を仰ぎ見る

目に見えない神の御顔を見るとは、どういうことか。
イエス様も
「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです」
と言われた。

私たちはイエス様によって罪赦され、
父なる神様の前にきよい者とされた。
父なる神様に近づくことができる。
父なる神様に祈り、
父なる神様がしてくださった
一つ一つのみわざに感謝することができる。

私たちの背後に働かれる主のみわざに気づくとき
目には見えない主なる神様を見る者とされる。

きよさは日々新しくされる。
素直さ、正しさもそう。
生きたみことばを思い巡らし、
自らの心を主の前に明らかにしていくとき、
きよさ、素直さ、正しさが新たにされる。

父よ、今日も私をきよめてください。
私の心をあなたの前に明らかにして
あなたの生きたみことばで満たしてください。
あなたの御顔を仰ぎ見る幸いを感謝します。

  主は正しく 正義を愛される。
     直ぐな人は御顔を仰ぎ見る。
              詩篇11:7

【日々のみことば】5月10日

苦しみの時に

苦しみの時 主が遠くに感じるときがある。
けれど主は見ておられる。
じっと見つめておられる。

なぜ苦しみがあるのか。
主なる神様を信じても、
砕かれ、崩れ、倒れることがあるのか。

一つには 私たちが「神はいない」と
主を侮ることのないため。

私はすぐに高慢になる。
主に委ね、祈ることなしに生きてしまう。
そんな私を主は砕いてくださり、
主の助けに身を委ねるように、
日々、導いてくださる。

父よ、私があなたを侮ることがありませんように。
いつでも、すべてを見ておられるあなたに
委ねる者とさせてください。

  あなたは見ておられました。
   労苦と苦痛を じっと見つめておられました。
  それを御手の中に収めるために。
                   詩篇10:14

【日々のみことば】5月9日

御名を知る者

主は聞かれるお方。ご覧になるお方。詩篇の記者は苦しみの中でも、主のみに望みをおいている。
私たちにとっての恐れ、、、忘れられること。誰も自分に感心がなく、見捨てられたかのように感じること。
主は見捨てられない。忘れられることはない。
その確かさに生かされていくとき、主なる神様の救いをほめたたえる者とされる。

  父よ、今日もあなたは私たちの味方です。
    貧しく、苦しむ私たちの砦です。
  主よ、もっともっとあなたに近づき、
    あなたに拠り頼む者とさせてください。

                   詩篇9:10

【日々のみことば】5月8日

顧みてくださる主

天地万物を造られ、今も支配しておられる主が、私に心を留め、顧みてくださる。全宇宙に比べたら、ちっぽけで、取るに足りない私の祈りに耳を傾け、私のことを愛し、私のためにことを行ってくださる。
この素晴らしい、考えられないほど大きな恵みを忘れてしまうことが多い。ちょっと祈っただけなのに、全く答えてくださらないとか、ほんの少し主のために仕えただけなのに、認めてくれないとか、とにかく不平不満に満たされている私。
今日、雲一つない青空を見た。
父よ、あなたが私に心を留め、ともにいてくださる恵みをすぐに忘れてしまう愚かな者です。どうかあなたの前にへりくだって、あなたが私にどんなに素晴らしいことをしてくださっているかを思い巡らし、感謝する者とさせてください。

 人とは何ものなのでしょう。
   あなたが心に留められるとは。
 人の子とはいったい何ものなのでしょう。
   あなたが顧みてくださるとは。

詩篇8:4

【日々のみことば】5月7日

心の深みまで

人はうわべを見るが、主は心を見る。7章は一見、自らの正しさ、誠実さを誇っているように感じる。けれど何度も読み思い巡らすと、主の正しさ、正しいさばきに身を委ねていることが分かる。
主が心の深みまで調べられ、心の直ぐな人を救われると知っているからこそ主の前に誠実でありたいと願い、主に立ち返ることができる。
私は主の義、正しさを本当の意味で理解しているだろうか。主が心の深みまで調べられるのに、自らの心をしっかり見張っているだろうか。主の前に誠実でありたいと願っているだろうか。主に対しても 自分に対しても 中途半端な自分であることに気づかされた。
父よ、あなたのあわれみによって救われた私です。どうかあなたの前に誠実に歩めますように。あなたが心の深みまで調べられることをしっかりわきまえ、心をきよめ、心をまっすぐあなたに向けることができるように導いてください。

  私の盾は神にあり
    神は心の直ぐな人を救われます。

詩篇7:10

【日々のみことば】5月6日

切なる願い

度重なる苦しみは骨も、たましいも、恐れおののかせる。嘆きで疲れ果て、衰え、弱まる。
けれど失望しない。主が嘆きを聞いてくださる、祈りを受け入れてくださると信じているから。
涙の夜もある。苦しみで弱り果ててしまうこともある。「どうして、、、」「何でこんなことが、、、」人生の不条理に嘆くことがある。このような祈りにならない泣き声、嘆きさえ、主は聞いてくださる。
父よ、苦しみ、悩む私たちを救ってください。疲れ果てたとき、あなたに向かう私たちとさせてください。

  主は私の切なる願いを聞き
    主は私の祈りを受け入れられる。

詩篇6:9