輝きを放つ[出エジプト34:18-35]
・・・モーセは、主と話したために
自分の顔の肌が輝きを
放っているのを知らなかった。
出エジプト34:29
モーセは主との交わりによって、
顔が輝きを放つのです。
これは主の栄光を
反映させているということでしょう。
それに彼は気づきません。
一方、民たちは輝くモーセを
恐れて、近づけません。
主の栄光がまぶしすぎたのです。
私たちも主との交わりによって、
主の栄光を反映させる者となります。
主はご自身の栄光を私たちを通して、
現わしてくださるのです。
この栄光を覆うことなく
輝かせていくことができますように。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、あなたの栄光を現わす器とさせてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
私たちのただ中に[出エジプト34:1-17]
「ああ、主よ。もし私がみこころに
かなっているのでしたら、
どうか主が私たちのただ中にいて、
進んでくださいますように。
出エジプト34:9
主はモーセの願い通り、
ご自身の栄光をお見せになります。
主の栄光を見たモーセは、
主の前にひざまずき、ひれ伏すのです。
そして主に嘆願します。
それはイスラエルの民のただ中にいて
進んでほしいということでした。
33章で主はうなじの固い彼らを滅ぼさないように、
彼らのただ中にあって
約束の地に上っていかないと
告げられていたからです。
この嘆願を主はきいてくださいました。
イスラエルの民とともに
御業を行ってくださると、
約束してくださるのです。
私たちもうなじの固い、
強情なものです。
自分勝手なことを行い、
主を悲しませます。
そんな私たちのために
主イエス様は日々とりなしてくださるのです。
だからこそ主は私たちのただ中におられ、
私たちとともに今日も進んでくださいます。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、今日もイエス様のとりなしによって
生かされることを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
恵もうと思う者を恵み[出エジプト33:12-23]
わたしは恵もうと思う者を恵み、
あわれもうと思う者をあわれむ。」
出エジプト33:19
主はモーセに彼がご自身の心にかない、
名指して選び出したとおっしゃいました。
”名指して”は”名で知って”という意味だそうです。
そのモーセは「あなたの栄光を見せてください」と
主に願います。
民たちを導く上で、
恐れと不安があったのでしょう。
その願いに主は答えてくださるのです。
でも主の栄光を直接見ることは、
死を意味していたので、
主のうしろを見ることが許されました。
また主は「わたしは恵もうと思う者を恵み、
あわれもうと思う者をあわれむ」と
告げられ、モーセが主の恵み、
あわれみの中にあることを示されるのです。
私たちも人生の様々な場面で、
不安、恐れを抱くことがあります。
そんなとき「主よ、あなたの栄光を見せてください」と
祈っていけたら幸いです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、私たちを恵み、
あわれんでくださっていることを
ありがとうございます。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
自分の友と語るように[出エジプト33:1-11]
主は、人が自分の友と語るように、
顔と顔を合わせてモーセと語られた。
出エジプト33:11
主はモーセとの親しい交わりを
心から喜ばれていることが分かります。
人が友と語るように、
主はモーセと顔と顔とを合わせて
語られるのです。
主イエス様も私たちのことを
友と呼んでくださいました。
そして私たちに父なる神様の
みこころを教えてくださったのです。
今日の礼拝も、主は私たちを友として、
招いてくださっています。
この招きに喜んで応答し、
心から主をほめたたえましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、イエス様のゆえに友と呼んでくださり、
ありがとうございます。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
わたしの名を[出エジプト32:15-35]
しかし、もし、かなわないなら、
どうかあなたがお書きになった
書物から私の名を消し去ってください。
出エジプト32:32
モーセは主の怒り、嘆きを自らのものとして
イスラエルの民にさばきを下します。
それと同時に、モーセは彼らのために、
とりなすのです。
それだけではありません。
モーセは彼らの罪を自ら負って
絶ち滅ぼされること、
いのちの書から名が
消し去られることもいとわないのです。
モーセは自分の救い、祝福を求めません。
イスラエルの民の救いと、
主の栄光のために
自らをささげるのです。
これはイエス様の姿でした。
イエス様も私たちの救いと、
父なる神様の栄光のために、
ご自身をささげられました。
私たちもモーセのように、
イエス様のように
人をとりなし、救いのために
仕えていくことができたら幸いです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、イエス様のように
人をとりなす者となさせてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
モーセのとりなし[出エジプト32:1-14]
どうか、あなたの燃える怒りを収め、
ご自身の民へのわざわいを
思い直してください。
出エジプト32:12
金の子牛を作り、それを神々とする
イスラエルの民。
それを心から悲しまれ、
怒りを燃やされる主なる神様。
その主なる神様にモーセは
嘆願して、祈ります。
イスラエルの民へのわざわいを
思い直してくださるように。
このモーセの祈りを
主は聞いてくださり、
わざわいを思い直してくださるのです。
私たちも主イエス様のとりなしによって
今も生かされています。
その私たちにゆだねられているのは、
他の人をとりなすこと。
滅びに向かう愛する人たちのために、
日々祈り、とりなしていくなら、
主は必ず祈りを聞き入れてくださり、
救いへと導いてくださるでしょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、私たちが愛する方々のために
とりなす者となさせてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
安息日[出エジプト31:1-18]
わたしが主であり、
あなたがたを聖別する者であることを、
あなたがたが知るためである。
出エジプト31:13
主なる神様は私たちがご自身の安息を
守らなければならないのは、
「わたしが主であり、あなたがたを
聖別する者であること」を知るためとします。
ただ仕事をしない日ではありません。
主なる神様を心の中心にお迎えし、
主によって選ばれ、きよめられたことを
主なる神様に感謝する日。
このことを主なる神様は何よりも
私たちに求められるのです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、私たちが安息日を守ることで、
あなたが主であり、聖別するお方であることを
知ることができますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
聖なるもの[出エジプト30:17-38]
これは聖なるものであり、
あなたがたにとっても
聖なるものでなければならない。
出エジプト30:32
主なる神様に近づき、仕えるのは
命がけでした。
「死ぬことのないように」と
あるからです。
常にきよさが求められました。
聖なるもの、聖なるものと
繰り返し語られているのです。
この箇所を思い巡らしながら
私は常にきよさを求め、
主なる神様に近づき、
主を礼拝し、主に祈り、
仕えているだろうかと考えさせられました。
ヘブル書12章にも
「聖さを追い求めなさい。聖さがなければ、
だれも主を見ることができません」とあります。
確かに主イエス様によって私たちはきよめられました。
けれど、きよめられたことばかりが強調され、
自らがきよさを追い求めることを、
私たちは忘れがちです。
今日も主によってきよめていただきましょう。
そしてきよさを追い求めていくことができたら幸いです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、私たちをきよめてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
自分のたましいの償い金[出エジプト30:1-16]
「あなたがイスラエルの子らの登録のために
その頭数を調べるとき、
各人はその登録にあたり、
自分のたましいの償い金を主に
納めなければならない。
出エジプト30:12
主なる神様はイスラエルの子らの
たましいの償い金を納めるように
命じられます。
それによって彼らにわざわいが
起こらないようにし、
たましいに宥めがなされたのです。
一方で詩篇49篇には、
私たちは自分も兄弟であっても、
贖い出すことはできない。
たましいの贖いの代価は高く、
あきらめなけらばならないとあります。
旧約時代の人たちの多くは、
モーセを通して告げられた償い金を
納めるだけで満足していたのかもしれません。
それだけしていればもう大丈夫だと。
けれど詩篇の記者はそれを全面的に
否定します。
私たちには自分のたましいを救うことは、
不可能だと。
そんな私たちのために主イエス様が
遣わされたのです。
イエス様は私たちの贖いの代価として、
ご自分のいのちを与えてくださいました。
これによって私たちのいのちを
得ることが出来たのです。
この大きな恵みに感謝して、
今日一日過ごして参りましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、イエス様の贖いを心から感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
イスラエルのただ中に[出エジプト29:35-46]
わたしはイスラエルの子らの
ただ中に住み、彼らの神となる。
出エジプト29:45
主なる神様は会見の天幕の入り口で、
イスラエルの子らと会ってくださいます。
そこは主の栄光によって
聖なるものとなるのです。
そして、このことは主がイスラエルの子らの
ただ中に住まれ、彼らの神となってくださる、
確かなしるしでした。
主なる神様がイスラエルの民を
エジプトから導き出されたのは、
主なる神様が彼らの神となり、
彼らのただ中に住んでくださるためでした。
私たちの救いも、
主が私たちの神となってくださり、
私たちのただ中に住み、
私たちを喜んでくださるため。
この恵みを今日一日覚え
ともにおられる主なる神様を
ほめたたえていきましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
父よ、今あなたはイエス様のゆえに
私たちを罪の奴隷から解放して、
私たちの神となってくださり、
ありがとうございます。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。