目を覚ませ[ヨエル書1:1-12]
目を覚ませ、酔いどれよ。泣け。
ヨエル書1:5
ヨエル書が書かれたのは、
南ユダが近隣諸国に
攻め込まれているときか、
バビロン捕囚された後か、
はっきり分からないようです。
イナゴによってイスラエル人は
大きな損害を被ります。
それは偶然ではなかったのです。
イスラエル人が酒に酔い、
好き勝手なことをしていたから。
しかもイナゴの被害だけでなく、
ある国民が南ユダに攻め上り、
主の愛するイスラエル人を
丸裸にしてしまうのです。
そのため南ユダには
喜びが消え去ります。
この状況を主は、
痛み悲しむように命じられるのです。
現実をしっかり見て、
しっかり悲しみ、
悔い改めるようにということでしょう。
すべての損害、被害が私たちの
罪・悪ゆえでなかったとしても
それに向き合うことはとても大切です。
見て見ぬふりをしたり、
目を背けるのではなく、、、
そうして主の前にへりくだることを
主は私たちに求めておられるのです。
逆境の時によく考え、
主のみこころを知ることができますように。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主よ、逆境の時にあなたのみこころを
知る者とさせてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
イスラエルには王がなく[士師記21:13-25]
そのころ、イスラエルには王がなく、
それぞれが自分の目に良いと
見えることを行っていた。
士師記21:25
イスラエル人はベニヤミンのことで
悔やみました。
けれど悔い改めたわけでは
なかったようです。
それは25節にあるように、
イスラエルには王がなく、
自分の目に良いと見えることを
行っていたからです。
失敗した、ダメだったと
後悔するだけで、
主に立ち返れないなら、
それは真の悔い改めと言えないのでしょう。
私もただ後悔するだけの時が多いのです。
後悔からは何も生まれません。
苦い思いだけが残るのです。
でも悔い改めは違います。
新しく生きる力が与えられるのです。
だからこそ主は私たちに悔い改めて、
生きるように繰り返し語られます。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主よ、ただ後悔するだけではなく、
悔い改めて生きる者とさせてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
激しく泣く[士師記21:1-12]
民はベテルに来て、
そこで夕方まで神の前に座り、
声をあげて激しく泣いた。
士師記21:2
イスラエルは自分たちの仲間、
ベニヤミン人が欠けたことに
大変大きなショックを受けるのです。
しかしこの出来事によって
彼らの霊的な目は開かれます。
彼らは自分たちが主の前に
正しくあろうとするのです。
私たちも身勝手な歩みをして、
大変大きな失敗をしたとき、
ショックを受けると同時に、
霊的な目が開かれることがあります。
主を求めるようになるのです。
実に私たちの失敗、苦しみは
私たちが主に立ち返るための
主からの働きかけ。
その働きかけに
いつも素直な気持ちで応答し、
歩んでいけたら幸いです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主よ、私たちがあなたに立ち返り、
歩むことができますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
聖書箇所:マタイの福音書1章18-25節
タイトル:恐れずに
説 教 者:田中秀亮先生
わざわいが迫っているのに[士師記20:29-48]
ベニヤミン族は、わざわいが
自分たちに迫っているのに
気づかなかった。
士師記20:34
ベニヤミン族は二度も
イスラエルに勝ったため、
高慢になっていました。
ですから自分たちにわざわいが
迫っているのに気づかなかったのです。
私たちも自分の思い通りに
事が進んでいるとき、
順風満帆に思えるとき、
霊的な目が閉ざされ、
高慢になってしまうことがあります。
そうならないために
主は私たちにチャレンジを
与えられるのです。
私たちがへりくだり、
霊的な目が開かれるために。
今週も霊的な目を主によって
開いていただきましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主よ、私たちの霊的な目を開いてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
9時30分より ”イズミンキッズ”
10時30分より ”主日礼拝” が持たれます。
*YouTubeでのライブ配信もします。
→ こちらよりご参加ください。
主に伺う[士師記20:8-28]
イスラエルの子らは主に伺った-
士師記20:27
ベニヤミン人と戦うために、
集まったイスラエルの諸部族。
彼らはどの部族が戦うかを
主に伺います。
それに従うのですが、
二度も彼らはベニヤミンに
打ち負かされるのです。
その理由はよく分かりません。
もしかしたらイスラエルを砕くため、
主を求めて、悔い改めるため
だったのかもしれません。
私たちの歩みの中でも、
主の御声に聞いているはずなのに、
上手くいかないことがあります。
それでも諦めず、主に伺い続け、
主のみこころを求めていけたら幸いです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主よ、あなたのみこころを教えてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
主のもとに集まった[士師記20:1-7]
一斉にミツパの主のもとに集まった。
士師記20:1
イスラエルの多くの部族が、
危機的な状況であることを認識し、
主のもとに集まってくるのです。
この時から自分の目に良いと
見えることばかりを行うことから
主の視点で物事を考え始めます。
このような視点、悔い改めを
与えられたのは、主なる神様です。
主は悪に悪を重ねる彼らを一度、
見捨てられます。
けれど彼らの心の目を開かれ、
ご自身のもとに集められるのです。
そして悪を取り除くように、
働きかけられます。
主は私たちの霊的な目を
開いてくださり、
悪を見分ける力を
与えてくださるのです。
また悪を放置せずに、
戦うように、取り除くように
私たちに働きかけてくださいます。
その主の働きかけに素直に
応答することができますように。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主よ、あなたの働きかけに素直に
応答する心を与えてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
恥ずべきことをしないでくれ[士師記19:22-30]
「それはいけない、兄弟たちよ。
どうか悪いことはしないでくれ。
士師記19:23
ベニヤミン人たちは、
自分たちが迎え入れなかった
レビ人を引き出すように
老人に命じます。
それに対して老人は、
悪いこと、恥ずべきことをするなと
警告するのです。
でも彼らは何も聞かず、
罪に罪を重ねます。
善悪の判断が全く付かず、
悪に走るベニヤミン。
王がなく、自分たちの目に
良いと見えることを行うことの
恐ろしさを感じます。
私たちもベニヤミンと何ら
代わりがないのです。
そんな私たちに主は聖霊を与えてくださり、
私たちの罪を指摘し、
悔い改める心を与えてくださいます。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主よ、あなたによって悔い改めることができ、ありがとうございます。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
家に泊めてくれる者は、、[士師記19:11-21]
彼らを迎えて家に泊めてくれる者は、
だれもいなかった。
士師記19:15
ベニヤミン族はレビ人と側女と若者を
迎えて家に泊めてくれませんでした。
心が主から離れていたため、
同胞の旅人をもてなすという思いが
まったくなかったのでしょう。
そんな中、ひとりの老人が彼らを
迎え入れます。
常識のある人がベニヤミン人の
中にもいたのです。
悪い時代にあって、正しい判断をして、
行動するのは勇気がいります。
周りと合わせて歩む方が
楽だからです。
でも主はいつも私たちに
この世と調子を合わせないように、
チャレンジを与えられます。
そうすることで主がご自身の
栄光を現わしてくださるのです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主よ、正しい判断をすることができますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。