レビ人の側女[士師記19:1-10]
イスラエルには王が
いなかった時代のこと、
士師記19:1
主なる神様を王として迎えず、
人々が好き勝手に生きていた時代、
レビ人は側女を迎えるのです。
彼は彼女をひどく扱ったのでしょう。
側女は彼の所から逃げ出し、
父の家に帰ります。
レビ人はその側女を追って
彼女の父の家に行くのです。
彼は彼女の心に訴えて
連れ戻すつもりでした。
彼女の心に訴えるとは、
どういうことでしょうか。
これは恐らく感情に訴え、
同情を誘うようなことだと
考えられます。
彼は彼女がどうして
出て行ったのかを考えず、
自らの非も認めず、
ただ情に訴えるのです。
このような自己中心が後に、
彼女のいのちを粗末に
扱うことになります。
本当に私たちの身勝手さは、
恐ろしいです。
自分の思い通りに事が進むように、
あらゆる手段を使うのです。
そんな弱さ、愚かさがある
私たちだからこそ
主に祈り、常に主のみこころを
求める必要があるのです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主よ、どうか私たちを身勝手な
歩みから解放してくださいますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
私のところには何が・・・[士師記18:21-31]
「あなたがたは、私が造った神々と、
それに祭司を奪って行きました。
私のところには何が
残っているでしょうか。・・・」
士師記18:24
ミカが造った神々と彼の祭司は、
ことごとくダン族に奪われてしまいます。
彼を幸せにする、主の祝福のしるしだと
思われていたものが、
何一つ彼の手元に残らないのです。
これが主なる神様を
王であることを拒み、
自分の目に良いと見えることを
行っていた結果でした。
ミカは失望して、
自分の家に帰ったことでしょう。
私たちも形あるものを頼みとするとき、
このような空しさを味わい、
失望させられることがあります。
けれど自分のところには、
何も残っていないと
感じることがあったとしても、
主は私たちとともにいてくださいます。
この大きな恵みを忘れず、
目に見えない主なる神様を
頼みとしていくことができますように。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主よ、あなただけを私の頼みとして
いくことができますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
聖書箇所:士師記17章1-13節
タイトル:私たちの王キリスト
安心して行きなさい[士師記18:1-20 ]
「安心して行きなさい。
あなたがたのしている旅は、
主がお認めになっています。」
士師記18:6
ダン族は自らの領地を広げるために
偵察します。
その時、ミカの家のそばをとおり、
彼の祭司、レビ人に会うのです。
偵察隊5名は、自分たちの旅が成功するか、
神様に伺って欲しいと、
レビ人に頼むのです。
レビ人は主に祈り、
安心して行くように言います。
とても身勝手に見えるレビ人に、
主が答えてくださることは驚きです。
私たちも良く身勝手な、
自分の目に良いと見えることをしてしまいます。
そんな私たちの祈りでさえも
主は聞いてくださるのです。
この主のあわれみを
今週も忘れずに歩んでいきましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主よ、身勝手な祈りをなお聞いてくださり、
答えてくださることを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
9時30分より ”イズミンキッズ”
10時30分より ”主日礼拝” が持たれます。
*YouTubeでのライブ配信もします。
→ こちらよりご参加ください。
自分の目に良いと見えることを[士師記17:1-13]
そのころ、イスラエルには王がなく、
それぞれが自分の目に良いと
見えることを行っていた。
士師記17:6
ミカは自分に都合よく、
神様に礼拝を献げています。
それは、ミカの時代、
イスラエルに王がなく、
自分の目に良いと見えることを、
行っていたからです。
私たちの礼拝はどうでしょうか。
自分に都合の良い、
自己中心な礼拝になっているときが
あるような気がします。
自分の目に良いと見えることではなく、
主の目に良いと見えることを知り、
それを選び取って行くことができますように。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主よ、身勝手な行いではなく、
あなたに喜ばれる行いをすることができますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
主を呼び求める[士師記16:15-31]
サムソンは主を呼び求めて言った。
「神、主よ、どうか私を心に
留めてください。・・・
士師記16:28
サムソンは力の源を明かしてしまい、
ペリシテ人に捕えられます。
そして苦しみにあうのです。
その時、彼は再び主を求めます。
どんなときにも、彼の心は
主から離れることはなかったのです。
この求めに主は答えてくださり、
彼に再び力を与えてくださいます。
これによってペリシテ人に
大きな損害を与え、
ペリシテ人による支配から、
イスラエルを救うことになるのです。
主はご自身を求める私たちを
決して退けられません。
その求めに答えてくださり、
大きな力を与えてくださるのです。
この主のあわれみを覚えて、
主に感謝する一日となりますように。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主よ、私たちにあなたを求める
心を与えてくださり、感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
力の源[士師記16:1-14]
こうして、彼の力の源は
知られなかった。
士師記16:9
サムソンはデリラを愛します。
でも彼女はサムソンではなく、
お金を愛するのです。
デリラはサムソンにどうしたら
彼を苦しめられるのか問いました。
サムソンは3度、嘘をついて
力の源を隠すのです。
彼は本当に辛かったと思います。
自分の愛する人が
自分を苦しめようとしていたのですから。
でも彼は彼女といっしょに
生活をし続けました。
彼女を捨てて、
逃げなかったのです。
とても不思議です。
どうしてデリラを捨てて、
逃げなかったのでしょうか。
それは彼女を愛していたから。
主なる神様も私たちを
愛してくださるから、
私たちを見捨てず、
ともにいてくださいます。
その愛に気がつかず、
主を傷つけ、裏切ってしまう私たち。
それでも主は私たちをあわれみ、
愛し続けてくださるのです。
この主の愛と忍耐によって
私たちは今、救われ、
生かされています。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主よ、あなたの愛と忍耐を心から感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
ニュースレター2021年12月号が発行されました。
下の画像をクリックしていただけると全体がご覧いただけます。
ひどく渇きを覚えて[士師記15:1-20]
そのとき、彼はひどく渇きを覚え、
主を呼び求めて言った。
士師記15:18
サムソンがペリシテ人と事を
起こし、イスラエルを
ペリシテ人の手から
主が救い始めたときの
イスラエルの反応は
どうだったでしょうか。
サムソンに「どうして
こんなことをしてくれたのか」と
文句を言って、彼をペリシテ人の手に
引き渡すのです。
彼らは主を求めておらず、
主への飢え渇きもなかったから。
一方、サムソンはペリシテ人と戦い、
ひどく渇きを覚えたとき、
主を呼び求めるのです。
この時代、サムソンだけが主を求め、
主への飢え渇きが与えられていました。
今の時代も、主を求める人は、
多くありません。
でも私たちには主を求める心、
主への飢え渇きが与えられているのです。
これは自分のためだけでなく、
主を知らない人たちを主に導くためでもあります。
今日も主を呼び求め、
主の救いを待ち望んでいきましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主よ、私たちにあなたへの飢え渇きを
与えてくださり、感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。