祝福を受け継ぐために
妻が夫に従うのも、
夫が妻を敬うのも、
主が祝福を受け継ぐために、
私たちを召されたから。
祝福を受け継ぐとは、
主の祝福で、人々を祝福すること。
祝福するとは、愛すること、
赦すこと、祈ること、
へりくだること、仕返しをしないこと。
この逆をしてしまいやすい私たち。
そうすると私たちの内に
主の祝福をとどめてしまう。
けれど主の祝福で祝福していくなら、
さらに大きな祝福で満たされる。
主の素晴らしさが現わされる。
父よ、私たちを祝福を受け継ぐために
召してくださったことを感謝します。
どうか、主よ、あなたの祝福を自分のうちに
とどめることなく、
祝福する者としてください。
あなたがたは祝福を受け継ぐために
召されたのです。
Ⅰペテロ3:9
キリストの足跡
キリストは全く罪のないお方なのに、
苦しみ、十字架で死なれた。
それは私たちが罪を離れ、
主の正しさに生きるため。
その結果、羊飼いのいない羊のように
さまよっていた私たちは
まことの羊飼いであるキリストによって
父なる神様のもとに立ち返ることができた。
その私たちはキリストの足跡に倣うように
召されている。
キリスト者としてキリストのように耐え忍び、
すべてを主に任せる。
これは決して簡単なことではないが、
信仰の創始者であり、完成者である
キリストから目を離さずに歩んでいきたい。
父よ、キリストの忍耐ゆえに今
あなたに立ち返ることができ、
感謝いたします。
主よ、キリストの足跡に従うように
召された私たちを導いてくださり、
あなたの御前に喜ばれる者としてください。
キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、
その足跡に従うようにと、
あなたがたに模範を残された。
Ⅰペテロ2:21
主のあわれみ
主イエス様に信頼する私たちは
決して失望することがない。
主を信じて、
クリスチャンとして歩んでいても、
様々な試みがある。
けれど主に拠り頼み、
主の助けを待ち望む私たちに
主はいつも答えてくださる。
なぜなら暗闇から
光の中に召された私たちは、
今 神の子とされ、
あわれみを受けているから。
父よ、あなたのあわれみを感謝します。
キリストに信頼に、あなたの助けを待ち望みます。
主のもとに来なさい。
主は、人には捨てられたが
神には選ばれた、尊い生ける石です。
Ⅰペテロ2:4
聖なる者となる
聖なる者となるとは、自分の欲望に従わないこと。
どうして、そのように生きられるのか。
それはキリストの尊い血によって、
罪から贖い出されたから。
また生きた、いつまでも残る神のことばによって。
もう私たちは欲望のままに生きることがなくなった。
だから「きよい心で互いに熱く愛し合える」
けれど、もし私たちが愛することを放棄するなら、
聖なる者とは正反対の歩みとなる。
確かに難しさ、痛みはあるが、
愛に生きることをあきらめないで歩んでいきたい。
父よ、キリストの尊い血によって贖われ、
聖なる者とされていることを感謝します。
どうかさらに聖なる者として、
あなたの前を歩むことができますように。
むしろ、あなたがたを召された聖なる方に倣い、
あなたがた自身、生活のすべてにおいて
聖なる者となりなさい。
Ⅰペテロ1:15
試練の中で
イエス様が死からよみがえられたことで、
私たちは新しくされ、生ける望みを与えられた。
一方で、この世においては様々な試練がある。
それらの試練は私たちをただ苦しめるものではない。
信仰が、主への信頼が増し加えられ、
キリストに向かって成長するためのもの。
また目に見えないキリストを愛し、
信じ、喜ぶことができるのは、
たましいの救いを受けているから。
主を信じることは、信頼することは、
私たちの力。
父よ、今、キリストにあって
生ける望みを与えてくださり、
ありがとうございます。
どうか、試練の時、
あなたから目を離すことなく、
あなたに信頼していくことができますように。
あなたがたはイエス・キリストを
見たことはないけれども愛しており、
今見てはいないけれども信じており、
ことばに尽くせない、
栄えに満ちた喜びに踊っています。
Ⅰペテロ1:8
愛を追い求める
パウロは手紙の最後に
「一切のことを、愛をもって行いなさい」
と命じています。
また「主を愛さない者はみな、のろわれよ」
と強い口調で語るのです。
パウロはどこまでも愛を語る。
それは愛がなければすべてが
無駄で意味のないことだから。
ですから私たちは愛を追い求める。
キリストが愛されたように、
お互いに愛し合う。
そしてあきらめないで
「愛をください」と祈り続けるなら、
愛が増し加えられると信じます。
父よ、まずあなたがキリストによって
私たちに愛をくださったことを感謝します。
どうかすべてのことを愛をもって
行うことができますように。
一切のことを、愛をもって行いなさい。
Ⅰコリント16:14
御霊のからだ
最初の人アダムは神様から
いのちの息を吹き込まれ、
生きるものとなりました。
最後のアダム、天から下って来られたキリストは
私たちに永遠のいのちを与えてくださったのです。
そして御霊のからだを与えられる保証となられた。
御霊のからだ、栄光のからだが与えられることは、
私たちにとって、どんな意味があるのだろうか。
それはいつまでも朽ちないからだ、
罪を犯すことのないからだが与えられること。
また私たちは御霊のからだが
与えられるのを待ち望みながら、
天に属するものとして
キリストに似た者と日々変えられることを喜ぶ。
父よ、今イエス様によっていのちが
与えられていることを感謝します。
また天に属するものとされた私たちが、
それにふさわしく生きることが
できるように導いてください。
こう書かれています。「最初の人アダムは生きるものとなった。」
しかし、最後のアダムはいのちを与える御霊となりました。
Ⅰコリント15:45
父なる神がすべてのすべてに
アダムにあって私たちすべては霊的にも
肉体的にも死ぬ者となった。
しかしキリストを信じる者は、
キリストにあって霊的に生きる者とされ、
肉体の死のあと、
よみがえる望みが与えられている。
この世だけの生であったら、
この世を楽しみ尽くすしかない。
けれどこの世だけでなく、
私たちはよみがえり、
父なる神様に完全に従う者とされる。
だから今の世にあっても、
不完全であるけれど、
父なる神様のみこころに従うことを
祈り求める。目を覚まし続けている。
なぜなら私たちはすぐに、
この地上のことばかりに心が奪われ、
刹那的な生き方をしてしまうから。
父よ、キリストにあって生かしてくださり、
ありがとうございます。
主よ、私たちはすぐに
この地上のことばかりを考えてしまいます。
どうかあなたのみこころを求め、
あなたのみこころに従うことができますように。
アダムにあってすべての人が死んでいるように、
キリストにあってすべての人が生かされているのです。
Ⅰコリント15:22
キリストのよみがえり
キリストが十字架で死なれ、
三日目によみがえられ
今も生きておられることは
私たちの望みであり、確信。
今も生きておられるから、
キリストを通して
父なる神様に祈ることができる。
今も生きておられるから、
キリストのとりなしによって
私たちは生かされている。
キリストがよみがえられたので、
私たちは罪から解放された。
キリストがよみがえられたので、
私たちの死も死で終わらず、
よみがえる望みがある。
キリストはこの世だけの
慰め主、救い主ではなく、
永遠に私たちの慰め主、救い主。
だから私たちは哀れな者、
空しい者ではなく、
幸いな者である。
父よ、キリストがよみがえられたことは、
私たちにとって幸いです。
またキリストのとりなしによって
生かされていることを感謝します。。
しかし、今やキリストは、
眠った者の初穂として
死者の中からよみがえられました。
Ⅰコリント15:20
神の恵みによって
福音とは、
旧約聖書で預言されていたように
救い主キリストが
私たちの罪のために死なれ、
葬られ、三日目によみがえられ、
弟子たちに現れてくださったこと。
また教会を迫害したパウロにも
現れてくださり、
福音を信じる者としてくださった。
キリストに出会うこと、
悔い改めて、福音を信じること、
主に仕えること、
これらすべて主の恵み。
この恵みを無駄にしないために、
主の恵みによって、
今の私はあることを
いつも心に留めていきたい。
父よ、イエス様にあって私たちを
救ってくださったことをありがとうございます。
この恵みを忘れることなく、
無駄にすることなく、
あなたに仕えていくことができますように。
ところが、神の恵みによって、
私は今のわたしになりました。
Ⅰコリント15:10