主を呼び求める[士師記16:15-31]
サムソンは主を呼び求めて言った。
「神、主よ、どうか私を心に
留めてください。・・・
士師記16:28
サムソンは力の源を明かしてしまい、
ペリシテ人に捕えられます。
そして苦しみにあうのです。
その時、彼は再び主を求めます。
どんなときにも、彼の心は
主から離れることはなかったのです。
この求めに主は答えてくださり、
彼に再び力を与えてくださいます。
これによってペリシテ人に
大きな損害を与え、
ペリシテ人による支配から、
イスラエルを救うことになるのです。
主はご自身を求める私たちを
決して退けられません。
その求めに答えてくださり、
大きな力を与えてくださるのです。
この主のあわれみを覚えて、
主に感謝する一日となりますように。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主よ、私たちにあなたを求める
心を与えてくださり、感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
力の源[士師記16:1-14]
こうして、彼の力の源は
知られなかった。
士師記16:9
サムソンはデリラを愛します。
でも彼女はサムソンではなく、
お金を愛するのです。
デリラはサムソンにどうしたら
彼を苦しめられるのか問いました。
サムソンは3度、嘘をついて
力の源を隠すのです。
彼は本当に辛かったと思います。
自分の愛する人が
自分を苦しめようとしていたのですから。
でも彼は彼女といっしょに
生活をし続けました。
彼女を捨てて、
逃げなかったのです。
とても不思議です。
どうしてデリラを捨てて、
逃げなかったのでしょうか。
それは彼女を愛していたから。
主なる神様も私たちを
愛してくださるから、
私たちを見捨てず、
ともにいてくださいます。
その愛に気がつかず、
主を傷つけ、裏切ってしまう私たち。
それでも主は私たちをあわれみ、
愛し続けてくださるのです。
この主の愛と忍耐によって
私たちは今、救われ、
生かされています。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主よ、あなたの愛と忍耐を心から感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
ひどく渇きを覚えて[士師記15:1-20]
そのとき、彼はひどく渇きを覚え、
主を呼び求めて言った。
士師記15:18
サムソンがペリシテ人と事を
起こし、イスラエルを
ペリシテ人の手から
主が救い始めたときの
イスラエルの反応は
どうだったでしょうか。
サムソンに「どうして
こんなことをしてくれたのか」と
文句を言って、彼をペリシテ人の手に
引き渡すのです。
彼らは主を求めておらず、
主への飢え渇きもなかったから。
一方、サムソンはペリシテ人と戦い、
ひどく渇きを覚えたとき、
主を呼び求めるのです。
この時代、サムソンだけが主を求め、
主への飢え渇きが与えられていました。
今の時代も、主を求める人は、
多くありません。
でも私たちには主を求める心、
主への飢え渇きが与えられているのです。
これは自分のためだけでなく、
主を知らない人たちを主に導くためでもあります。
今日も主を呼び求め、
主の救いを待ち望んでいきましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主よ、私たちにあなたへの飢え渇きを
与えてくださり、感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
主によること[士師記14:1-20]
彼の父と母は、それが主に
よることだとは知らなかった。
主は、ペリシテ人と事を
起こす機会を求めておられたのである。
士師記14:4
サムソンはペリシテ人の女性に
一目惚れして、結婚したいと
両親に伝えます。
それを聞いた彼らは、
困惑するのです。
でもこれは主によることでした。
主はペリシテ人と事を起こす機会を
求めておられたのです。
当時、イスラエル人はペリシテ人の
支配から自由になることを
あまり望んでいませんでした。
主に立ち返ろうとする心もなかったのです。
ですから主が事を起こし、
主のあわれみによって、
彼らをご自身のもとに
引き戻そうとされました。
私たちも主のあわれみによって、
救われ、主のもとに
帰ることができたのです。
そして今も、主は頑なな私たちに
悔い改めの心を与えてくださり、
日々主に立ち返るように
導いてくださっています。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主よ、私たちが日々、あなたに立ち返ることが
できていることを感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
主の名は不思議[士師記13:15-25]
わたしの名は不思議という。
士師記13:18
マノアが主の使いに名前を尋ねると、
主は「わたしの名は不思議という」と
答えられました。
そして彼らは主のなさる
不思議なことを見るのです。
主は実に不思議なお方です。
私たちの理解を超えたことを
いつもなさるのです。
私たちの救い主も、
「不思議な助言者」と
呼ばれています。
英語では「Wonderful Counselor」と
なっています。
キリストは私たちにとって、
驚くべきカウンセラー・助言者です。
私たちの思いを超えた
素晴らしいことばを与え、
私たちを導いてくださるのです。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主よ、あなたの不思議で驚くべき
導きに心から感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
ギルアデとエフライム[士師記12:1-15]
私はいのちをかけてアンモン人の
ところへ進んで行った。
そのとき、主は彼らを
私の手に渡されたのだ。
士師記12:3
アンモン人にエフタを
リーダーとしたギルアデ人が
勝利したとき、
エフライム人が彼に文句を言い、
戦いを仕掛けてきます。
嫉妬でしょうか。
詳しいことは分かりませんが、
イスラエルの部族が
仲が悪くなっているのです。
主の前に悪を行ううちに、
お互いの平和が崩れ、
戦争へと発展していきます。
これは大変悲しい事実です。
私たちも主を忘れ、
自分勝手な歩みをするなら、
主との平和も、お互いの平和も
どんどん失われていきます。
そうならないために日々、
悔い改めて、平和の君である
主によって、平和を作る者と
させていただきましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主よ、あなたの平和が私たちを通して
広がっていきますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
主への誓い[士師記11:29-40]
主は彼らをエフタの手に渡された。
士師記11:32
エフタはなぜアンモン人と戦うときに、
主に誓願を立てたのでしょうか。
主への自らの真実さを
示そうとしたのでしょうか。
主は彼の真実さ、熱心さ、
信仰深さによって、
アンモン人に勝利を与えられる
お方ではありません。
主のみこころはエフタを用いて、
アンモン人に勝利を与えることでした。
エフタは自らの信仰深さ、
熱心さを主にほめてもらいたかったのでしょう。
そのことが後に彼を苦しめる結果になります。
自らの信仰深さ、熱心さを誇り、
主の働きをしてやろうという気持ちは、
大きなつまずきとなるのです。
主が小さな弱い自分を
用いてくださるという謙遜さを
主に与えていただきましょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主よ、どうか私たちがいつも謙遜に、
あなたに用いていただけますように。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
審判者であられる主[士師記11:12-28]
審判者であられる主が、今日、
イスラエル人とアンモン人の間を
さばいてくださるように。」
士師記11:27
エフタはアンモン人の王に対して、
平和的な解決をはかろうとします。
しっかり歴史的な事情を伝え、
アンモン人の悪を明らかにするのです。
けれどアンモン人はエフタのことばを
聞こうとしませんでした。
それは彼の目が閉ざされていたからでしょう。
私たちはエフタのように、
すべての人との平和を追い求めるよう、
主に召されています。
理不尽なことがたくさんありますが、
すぐに攻撃したり、反発するのではなく、
平和的な解決策を探る。
これは簡単なことではありません。
でも忍耐して、審判者である
主に委ねるなら、主は正しいさばき、
報いを与えてくださることでしょう。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主よ、すべての人との平和を
追い求める者とさせてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
主が渡してくださったなら[士師記11:1-11]
主が彼らを私に渡してくださったなら、
私はあなたがたのかしらとなろう。
士師記11:9
エフタは父の家から追い出されます。
けれどアンモン人によって
ギルアデ人たちが苦しんだとき、
彼に助けを求めるのです。
とても勝手な願いに感じますが、
エフタは聞き入れます。
しかし彼は自分を誇るのではなく、
主なる神様が勝利を与えてくれると、
主を指し示すのです。
これを聞いたギルアデ人たちは、
「主が私たちの間の証人である」と
告白します。
一人のリーダーによって、
ギルアデ人は主に立ち返るのです。
人が自分にした悪に報いるのではなく、
主を証ししていくとき、
私たちの周りの人たちも、
主を知り、主の真実さに
委ねることができるでしょう。
今日も一日、主を証しして、
主の栄光が私たちを通して、
現わされますように。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主よ、あなたにすべてを委ねて、
あなたの真実さを証する者とさせてください。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。
イスラエルの苦痛を見られる主[士師記10:1-18]
彼らが自分たちのうちから
異国の神々を取り去って
主に仕えたので、
主はイスラエルの苦痛を
見るに忍びなくなられた。
士師記10:16
主を捨て、偶像礼拝を続ける
イスラエルの民。
そのために主のわざわいが
彼らを襲います。
その時、彼らは主に
叫び求めるのです。
自らの罪を求め、
主の救いを願います。
それに対して主は
「救わない」と答えられるのです。
一瞬彼らを見放される主なる神様。
でも彼らを永久に見捨てられません。
悔い改める彼らが
苦痛を味わうのを見て、
忍びなくなられるのです。
そして彼らを救ってくださいました。
主は救ってくださるお方。
本当に悪に傾きやすい私たちを
一瞬放っておられることがあるとしても、
そのままにされません。
悔い改めるなら、主はあわれんで
私たちを救おう、助けようと
立ち上がってくださるのです。
この主のあわれみのゆえに
今、私たちは生かされています。
父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
主よ、あなたのあわれみ深さを心から感謝します。
*聖書箇所は「日々のみことば」
(日々のみことば出版委員会)にもとづいています。