羊飼いとなって
詩篇の記者の恐れは、主の沈黙です。
そして悪者と一緒に滅びに向かうことなのです。
だからこそ主のあわれみを求めます。
沈黙、苦難の中でも、主に祈ることをやめません。
そして主に拠り頼む自分が助けられたことを
高らかに賛美するのです。
また彼は自分の救いだけを求めません。
イスラエルの民を救い、
祝福して下さるように祈るのです。
彼らの羊飼いとして、導いて欲しいと願います。
時に私たちは自分のことばかりを祈る。
自分さえ良ければと考えてしまう。
でも私たちの真の羊飼いであるキリストは、
私たちを一人ひとり単独に
導いておられるのではない。
キリストの教会を一つのからだとして
導き、救い、祝福して下さる。
ですから自分の救い、助けだけでなく、
教会の救い、導きを求めていけたらと願います。
父よ、私たちの教会をあわれんで下さい。
そして救い、祝福し、義の道に導いて下さい。
どうか御民を救ってください。
あなたのゆずりの民を祝福して下さい。
どうか彼らの羊飼いとなって
いつまでも彼らを携え導いて下さい。
詩篇28:9
一つの願い
詩篇の記者は、一つのことを願います。
それはいのちの日の限り
主の家に住むことです。
なぜ主の家に住むことを願うのでしょうか。
それは主の家が彼の唯一の隠場であり、
救いの岩である主がおられるからです。
私たちの救いは主にあります。
主以外に私たちを助け、
救って下さるお方はいません。
でも私たちは他のものに救いを求め、
挫折します。
そんな私たちを主は見捨てず、
あわれみをもって助けてくださるのです。
父よ、移ろいやすい私たちです。
あなただけを求めることができるように、
私たちを導いて下さい。
一つのことを私は主に願った。
それを私は求めている。
私のいのちの日の限り 主の家に住むことを。
詩篇27:4
誠実に
詩篇の記者は、自分が誠実に
歩んでいることを繰り返し語ります。
それゆえに弁護し、贖いだし、
あわれんでくださるように願うのです。
彼には誠実に歩み、悪から離れても、
困難が次から次へと襲ってきたのだろう。
でも彼は自らの正しさに拠り頼むのではなく、
主の助けを待ち望み、主を愛し、
ほめたたえる。
主の前に誠実であること、
きよく生きたいと願うことは
とても大切。
でもそれによってすべてが
自分の思い通りになるわけではない。
これをしっかりうけとめ、
主にすがる者とさせていただきたい。
父よ、私に誠実さを与えてください。
さらにあなたを愛する者でありますように。
あなたの恵みは 私の目の前にあり
あなたの真理のうちを 私は歩み続けました。
詩篇26:3
咎をお赦しください
詩篇の記者は自らの罪に苦しみ、
悩んでいる。
主を知れば知るほど、
主と親しく交われば交わるほど、
私たちの内側が探られる。
自分の罪咎の大きさを悟る。
それらを放置するのではなく、
記者は主の前に告白し、主に向かい、
主のあわれみを求める。
苦悩から引き出してくださるように。
私たちにとって幸いなことは、
自分の罪咎が主によって
完全に赦されること。
罪を告白して、裁かれて終わりではないこと。
主は豊かな赦しとあわれみによって
私たちを包み、立ち上がらせてくださる。
父よ、私の罪咎をあなたのあわれみによって
赦してください。
主よ あなたの御名のゆえに
私の咎をお赦しください。それは大きいのです。
詩篇25:11
今日は、久しぶりのお友達がきてくれました。しばらく会わないうちに、導入で出てくる、くまさんを見るなり、「Bear!」と大きな声で答えてくれました。工作してても、出てくる出てくる!「Red!Yellow!」、驚きです。
久しぶりに来ても、やっぱり向かうのは、絵本。以前来たときに必ず手に取り読んでもらっていた絵本を、読んでいました。
聖なる御前に
天と地とそこに満ちる
すべてのものを造られた主。
その全能で聖なる神様の前に
だれが立てるだろうかと問う。
本来、主の御前に立つのに
ふさわしい人はだれもいなかった。
手がきよく、心の澄んだ人。
自らを吟味したとき、
正反対な者であると知る。
それでも主は私たちを見捨てず、
主の御顔を慕い求める者としてくださった。
その恵みによって私たちは主に救われ、
主の前に義と認められている。
父よ、あなたを求めます。
あなたの御前に立つことができるように、
日々私たちをきよめてください。
その人は 主から祝福を受け
自分の救いの神から義を受ける。
詩篇24:5
キリストともに生きる
パウロはコリント教会で、
なお罪に留まっている人々に忠告します。
そして自分自身が信仰に生きているか
自分自身を試し、吟味するように告げるのです。
恐らく彼らはパウロがコリントを離れると、
キリストがともにおられないかのような
生活を送っていたのでしょう。
キリストが自分のうちにおられることを
忘れ、自堕落な態度をしていたと考えられます。
だから自らを顧みて、
完全な者になることを願うのです。
私たちもキリストが内におられるのに、
それを忘れて、道から外れてしまうことがあります。
ですからいつもみことばによって、
自分を吟味し、神の力によってキリストとともに
生きる者とさせていただきたいと願います。
父よ、日々自らを顧みて、
キリストとともに生きる者とさせてください。
あなたがたは、信仰に生きているかどうか、
自分自身を試し、吟味しなさい。
Ⅱコリント13:5
成長するため
パウロは心からコリントの
教会のクリスチャンを愛していた。
けれど彼が愛し、彼らが成長するように
諭せば諭すほど、彼らはパウロを否み、
愛さなかった。
これはパウロにとって大きな苦しみ、
ショックであったはず。
それでもパウロはコリントのクリスチャンたちを
励まし、彼らが悔い改めて生きるように願う。
父なる神様もキリストによって
私たちに愛を現わしてくださった。
そして私たちを愛し愛し愛し続けてくださっている。
それでも私たちは父の愛から離れ、
父を心から愛せない弱さがある。
それでも父は私たちを見捨てず、
恵みで満たし、私たちがキリストに向かって
成長するように、悔い改めに導いてくださる。
この父の呼びかけに素直に応答するものでありたい。
父よ、あなたの愛をありがとうございます。
けれど私たちはあなたの愛に
応えることができない者です。
どうかあわれんでください。
そしていつでもあなたに帰る素直な心を与えてください。
わたしがあなたがたを愛すれば愛するほど、
わたしはますます愛されなくなるのでしょうか。
Ⅱコリント12:15
聖書箇所:Ⅱコリント12章1-10節
タイトル:弱いときにこそ