【日々のみことば】10月7日

老預言者と神の人[Ⅰ列王記 13:11-19]

こうして彼はその人をだました。
            Ⅰ列王記 13:18

ベテルに住んでいた一人の
老預言者が、息子たちから
神の人がしたこと、
語ったことが伝えられます。

そうすると老預言者は
神の人を探しに出て行くのです。
なぜ彼がそのようにしたのか、
良く分かりません。

そして神の人をだまして、
一緒に食事をするように
招くのです。

これによって先を見ると、
神の人は獅子に殺されてしまいます。
なぜ、だました預言者がさばかれず、
神の人だけ殺されたのも謎です。

神の人が神様のことばではなく、
老預言者のことばに信頼したから。
確かにそういう面はあるでしょう。

だから私たちは神様の声に
聞き従って行く必要がある。
このような適用もないとは言えません。
けれど何か腑に落ちないのです。

私たちも神様のことばに
常に従うことが難しい。
時に神様以外のことばに
従ってしまう弱さを持っています。

そんな弱さを抱えた私たちを
なおもあわれみ、導いてくださる
主なる神様に拠り頼んで
歩んで行きましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたのことばに信頼し、

歩んで行くことができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】10月6日

神の人の忠告[Ⅰ列王記 13:1-10]

神の人が主のことばによって
 与えたしるしのとおり、
祭壇は裂け、灰は祭壇からこぼれ出た。
            Ⅰ列王記 13:5

ユダから一人の神の人が
ベテルに遣わされます。
彼はヤロブアムが香をたこうとしていた
祭壇に向かって叫ぶのです。

それを聞いてヤロブアムは
彼を捕えようとします。
ところが彼の手はしなびて
元に戻せなくなるのです。

さらに神の人が告げたとおり、
祭壇は裂け、灰が祭壇から
こぼれ落ちます。

この出来事を通して、
ヤロブアムは神の人に
自分の手のいやしを
祈ってくれるように願うのです。

神の人はヤロブアムの願いを聞き、
彼のために祈ります。
その祈りに主が応えてくださり、
ヤロブアムは癒やされるのです。

これによってヤロブアムは
自らの行いを悔い改めたでしょうか。
いいえ。彼は主のみわざを経験しても、
悔い改めず、自分の道を進むのです。

今日の箇所で興味深いことは、
6節でヤロブアムが神の人に
「あなたの神、主にお願いして」と
頼んでいるところです。

彼にとって主は、もう自分の神では
なくなっているのです。
これは彼の心が完全に主から
離れていた確かな証拠です。

天地創造をされ、
今も支配しておられる主は、
私たちの神様です。

この大きな恵みを忘れず、
日々、私たちの神様に祈り、
主の導きに従ってまいりましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたが私たちの神様と

なって下さることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】10月5日

ヤロブアムの罪[Ⅰ列王記 12:25-33]

このことは罪となった。
 民はこの一つを礼拝するために
ダンまで行った。
           Ⅰ列王記 12:30

ヤロブアムが北イスラエルの
王となると、一つのことが
心配になるのです。

それは主にいけにえを
献げるために、イスラエル人が
エルサレムに上っていくなら、
彼らがレハブアムのところに
帰ってしまうのではないかということでした。

そこで誰かに相談し、二つの金の子牛を造り、
それらをベテルとダンに置くのです。
そしてベテルとダンでいけにえを献げるように
民たちに命じます。

これがヤロブアムの罪でした。
彼は主の命令を何一つ守らず、
自分勝手な礼拝を民たちに強要します。

しかもレビ人以外の一般の人を
祭司にして、祭りの日も、
勝手に考え出した日にするのです。

これは神様の前に大きな罪でしたが、
ヤロブアムをはじめ、イスラエルの人たちは
自分たちの罪に気づかないのです。

エルサレムに行かなくても
いけにえを献げられるなら、
それで良いのではないかと
妥協してしまいます。

私たちはどうでしょうか。
主の喜ばれる礼拝を献げているでしょうか。
それとも自分たちが満足する礼拝でしょうか。
いつも自らを吟味していくことができますように。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、自分勝手な礼拝ではなく、

あなたに喜ばれる礼拝を献げることができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】10月4日

主が仕向けられた[Ⅰ列王記 12:12-24]

王は民の願いを聞き入れなかった。
・・・主がそう仕向けられたからである。
           Ⅰ列王記 12:15

ここでレハブアムが民の願いを
聞き入れなかったのは、
主がヤロブアムに告げられたことを
実現するために仕向けられたこと。

このように読むことができます。
これではイスラエルが分裂したのは、
主なる神様の計画で、主のせいだ。
となってしまうような気がするのです。

しかしイスラエル分裂はあくまでも
ソロモンの罪のゆえです。
そしてレハブアムが頑なにされたのも、
彼の悪い心のゆえでした。

ソロモンが罪に罪を重ねた結果、
罪の影響が子どもたちまで及ぶ。
悔い改められないことは、
自分自身だけの問題でないことが分かります。

私たちは今、どうでしょうか。
主のことばに聞き従い、
素直な心になっているでしょうか。

主への不信仰、頑なさが
自分のみならず、家族や周りの人にも
多大な影響を及ぼすことを覚え、
へりくだって歩んでいくことができたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、私の罪が、頑なさが周りの人たちに

影響を及ぼすことが分かりました。
 どうか私の頑なな心を日々砕いてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】10月3日

助言を退ける王[Ⅰ列王記 12:1-11]

しかし、王はこの長老たちが
 与えた助言を退け、
自分とともに育ち、
 自分に仕えている若者たちに
こう相談した。
           Ⅰ列王記 12:8

ソロモンの色々な事業によって
イスラエルの人々は重いくびきを
負わされていたようです。
これもまたソロモンの負の遺産。

それを軽くしてくれるように
ヤロブアムを筆頭に、
レハブアムに頼むのです。

父ソロモンに仕えていた長老たちは
彼らの言い分を聞いてあげるように
助言を与えます。

長老たちはソロモンの圧政によって
人々が苦しんでいたのを
見ていたからでしょう。

しかしレハブアムは彼らの助言を
退けてしまうのです。
そして自分とともに育った
若者たちに相談します。

誰に相談するか。誰の助言に従うか。
私たちは自分の考えに近い人に相談し、
その助言に従いたいという心があります。

けれど本当に聞くべき助言は、
自分にこびず、はっきりものを
言ってくださる人の助言です。

私たちの一番の助言者はイエス様でしょう。
イエス様は私たちに適切な助言を
いつも与えてくださるのです。

このイエス様の助言を無視しないで
聞き従うことができたらと願います。
また良き助け手、助言者が与えられるよう、
お祈りしていきましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、一番の助言者であるイエス様に

聞き従う者とさせてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】10月2日

永久に続けない[Ⅰ列王記 11:26-43]

このために、わたしはダビデの
 子孫を苦しめる。
しかし、それを永久に続けはしない。
            Ⅰ列王記 11:39

主はソロモンの家来ヤロブアムを
ソロモンに敵対する者として選ばれます。
主はヤロブアムにイスラエルの
10部族を与えられるのです。

でも条件がありました。
それはヤロブアムが主の命令に聞き従い、
主の道を歩むことでした。

またヤロブアムを選ばれたのは、
ダビデの子孫を苦しめるため
だったのです。

でも主はそれを永久に
続けないとも言われます。
それはダビデのゆえでした。

ソロモンの人生後半は
かなり悲惨なものであったでしょう。
ソロモン自身、平安がなく、
安心して眠れなかったのではないか。

でも主が永久に苦しめることはないと
約束してくださっているところに、
主の深い愛とあわれみを覚えるのです。

私たちが自らのゆえに
苦しみの中を通らされても、
その苦しみは永久に続くことはない。

主のあわれみは尽きないことを
覚えつつ、歩んでまいりましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたのあわれみは尽きないことを

心から感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】10月1日

ソロモンに敵対する者[Ⅰ列王記 11:14-25]

こうして主は、
 ソロモンに敵対するものとして、、、
            Ⅰ列王記 11:14

ソロモンの罪ゆえに
主はソロモンに敵対する者たちを
起こされます。

それまでイスラエルと
周辺の国は平和であり、
安心して暮らせたのです。

その平和が崩されます。
これまでくすぶっていたものが
一気に吹き出すのです。

これらは主がイスラエルの平和を
維持するために
とどめられていたものでした。

ところが罪のさばきとして
イスラエルに敵対し、
イスラエルを憎む者を
解き放たれるのです。

このようなイスラエルの敵は、
彼らが目を覚まし、
主に立ち返るための者たちでもありました。

主はイスラエルをただ苦しめ、
滅ぼそうとされている
わけではないからです。

私たちも自分に敵対したり、
憎む者たちがいるかも知れません。
そのとき、これはどんな意味があるのかを
しっかり吟味していきたいと思うのです。

そして自らの内にある悪に
気づかされたら、
しっかり悔い改められたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、すべてのことに意味があることを信じ、

あなたに聞き従っていく者とさせてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。