【日々のみことば】10月17日

主のことばは真実[Ⅰ列王記 17:8-24]

・・・「今、私はあなたが神の人であり、
 あなたの口にある主のことばが
真実であることを知りました。」
           Ⅰ列王記 17:24

川に水がなくなると、
主はエリヤを一人のやもめの
ところに遣わされます。

そのやもめは食べる物がわずかで、
死のうとしていたのです。
でもこのようなやもめを主は用いられ、
エリヤも彼女の家族も救われます。

ところが今度は彼女の息子が
死んでしまうのです。
これはやもめにも、エリヤにも
信じられないことでした。

エリヤは息子が生き返るように
主に祈ります。
その祈りを主が聞いてくださり、
彼は生き返るのです。

この出来事を通して、やもめは
主を信じることができました。

それにしてもエリヤは多くの
奇跡を経験しているのです。
これを通して彼は主に信頼して
生きる力を得ることになります。

私たちには奇跡的な出来事が
起こらないかもしれません。
でも主は私たちが主に信頼して歩むように
私たちに恵みを与え続けてくださるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたに信頼して生きることは

何と幸いでしょうか。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】10月16日

主に養われる[Ⅰ列王記 17:1-7]

・・・わたしは烏に、
そこであなたを養うように命じた。」
           Ⅰ列王記 17:4

アハブのもとに主は
預言者エリヤを遣わされます。
主は彼を通して、数年間、露も降りず、
雨も降らないと告げられるのです。

これはアハブと北イスラエルの人たちが
神様に立ち返るための一つのしるしでした。
エリヤはこれを告げてから、
主に身を隠すように命じられます。

また烏が彼を養うと言われるのです。
この主のことばどおり、
毎朝晩、彼のところに烏がパンと肉を
運んで来てくれました。

さらに主が告げられた通り、
雨が全く降らなかったので、
川の水は涸れてしまうのです。

烏によって養われるなんて、
とても不思議な出来事です。
主はエリヤを奇跡的な出来事を
通して養われます。

確かに私たちが今、
烏に養われることはないでしょう。
でも主は私たちに日々の必要を備えてくださり、
生きる力を与えてくださっているのです。

このように主の恵みによって
養われていることを忘れずに、
歩んで行きましょう。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたがすべての必要を

満たしてくださることを信じます。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】10月15日

アハブの罪[Ⅰ列王記 16:15-34]

オムリの子アハブは、
 彼以前のだれよりも主の目に
悪であることを行った。
         Ⅰ列王記 16:30

北イスラエルは悪が
どんどん増大していきます。
王たちが主の目に悪を行い続け、
主の怒りを引き起こすのです。

さらに悪い王がアハブでした。
アハブはヤロブアムよりも
格段に悪い王で、積極的に
偶像礼拝を行うのです。

アハブのことは17~22章まで、
詳細に記されています。
彼の歩みを見てみると、
愚かな王であることが良く分かるのです。

悪妻イゼベルに翻弄され、
わがままの限りを尽くします。
逆に、劇的な悔い改めをするのです。

私たちの中にもアハブ的な面が
あるように感じます。
悪に走っても、主は私たちに
悔い改めの機会を与えてくださるのです。

どこまでいっても
あわれみに満ちた神様。
この神様のあわれみに
すがっていけたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたのあわれみにすがる

歩みでありますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】10月14日

空しい神々[Ⅰ列王記 15:33-16:14]

・・・彼らの空しい神々によって
 イスラエルの神、主の怒りを
引き起こしたためである。
         Ⅰ列王記 16:13

北イスラエルの王は、
クーデターによって、
次から次へ代わっていきますが、
どの王も主の目に悪を行うのです。

主に従わないことがどれほど
愚かであるかを知っても尚、
悔い改められません。

空しい神々に従い、
主の怒りを引き起こすのです。
罪の深みにどんどん
落ちていきます。

しかし主はまだ北イスラエルを
あわれみ、完全に滅ぼされないのです。
彼らが悔い改めて生きることを
願っておられます。

主は悪者、主の前に罪を
犯す者の死を喜ばれないのです。
どうにかして彼らがご自分のもとに
帰って来るのを待っておられます。

これこそ主の熱心であり、主の愛。
この熱心さ、愛は、今の私たちにも
同じように注がれているのです。

ですから私たちも頑なにならず、
主の愛にいつでも立ち返れるように
祈っていきましょう。 

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、本当に頑なな私たちをあわれみ、

立ち返る道を備えて下さる恵みを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】10月13日

罪の道[Ⅰ列王記 15:25-34]

・・・ヤロブアムがイスラエルに
 犯させた罪の道に歩んだ。
          Ⅰ列王記 15:34

ヤロブアムの子ナダブは、
北イスラエルの王となりますが、
ヤロブアムと同じように、
主の目に悪を行い、罪の道を歩みます。

そのため主の怒りにあって
バシャの謀反によって
殺されてしまうのです。
そしてバシャが代わって王となります。

バシャもまたヤロブアム、ナダブと
同じように主の目に悪を行い、
罪の道に歩むのです。

王が代わっても、
その心は全く変わらず、
罪の道から抜け出せません。
ここから罪の根深さが分かるのです。

私たちも以前、罪に縛られ、
罪の道から抜け出すことができませんでした。
けれどイエス様の十字架の死と
復活によって、罪から解放されました。

ですから私たちはもう罪の道に
歩み続けることなく、
主の目に喜ぶことを
選び取ることができるのです。 

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、罪の道からいのちの道に

導いてくださり、感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】10月12日

全きもの[Ⅰ列王記 15:9-24]

アサの心は生涯、主とともにあり、
 全きものであった。
          Ⅰ列王記 15:4

南ユダの王アサは、ダビデのように
主の目にかなうことを行います。
汚れた習慣を廃止し、
偶像を取り除くのです。

彼の心は生涯、主とともにあり、
全きものでした。
だからと言って、何も問題が
ないわけではなかったのです。

北イスラエルとの間に
衝突がありました。
北イスラエルの王バアシャは
アサのもとにだれも
出入りできないようにします。

そのためアサはアラムの王に
助けを求めるのです。
このことについて第一列王記では
何も語られていません。

けれど第二歴代誌を見ると、
このように主に求めず、
アラムの王に助けを求めたことが
大きな問題となっていることが分かるのです。

しかもアサは預言者に
罪を指摘されると、預言者を
牢獄につないでしまいます。

さらに病気の時にも、
主を求めず、医者を求めるのです。
これは彼の心が神様から
離れていたことを意味しています。

このアサの歩みから、
ずっと主に従い通す、
主と心を一つにすることの
難しさを覚えるのです。

私たちも時に自分勝手に歩み、
心が主から離れてしまうこともあるでしょう。
その時、主に引き戻していただき、
主を求めることができるよう、
ともにお祈りしていくことができたら幸いです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたを求め、

あなたに信頼して歩めますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】10月11日

一つのともしび[Ⅰ列王記 15:1-8]

ダビデに免じて、彼の神、
 主は、彼のためにエルサレムに
一つのともしびを与えて、・・・
          Ⅰ列王記 15:4

南ユダではアビヤムが
王となります。
けれど彼も父レハブアムの
ように主の前に罪を犯すのです。

ダビデのように主と心一つになり、
歩めません。しかし主はダビデ家を
王家から退けられないのです。

それは「ダビデに免じて」でした。
主はダビデのために、
彼との約束のために
跡継ぎを起こされるのです。

そしてエルサレムを
堅く立てられます。

私たちもまた色々失敗をして、
罪を犯すのです。
そんな私たちは本来、
主の前に立つことができませんでした。

ところが私たちはイエス様に免じて、
イエス様のゆえに、罪赦され、
神の子とされているのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、イエス様に免じて、罪赦され、

日々生かされていることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】10月10日

主のねたみ[Ⅰ列王記 14:21-31]

ユダの人々は主の目に
 悪であることを行い、
・・・主のねたみを引き起こした。
            Ⅰ列王記 14:22

南ユダの人々も主の前に
悪を行い、偶像礼拝をします。
それによって主のねたみを
引き起こすのです。

主はねたまれるお方。
ねたみとは、熱意とも訳すことができます。
主は南ユダの人々を愛されていました。
でも彼らは他の神々に仕えてしまう。

このことは主にとって大きな
悲しみであり、痛みでした。
神様はいつでもご自分の愛に応え、
ご自分を愛して欲しいと願っているのです。

この彼らへの熱意は決して
なくなることはありません。
彼らがご自分のもとに帰ってくるように
いつも彼らに働きかけられるのです。

同じように主は私たちを愛して下さいます。
主は私たちを愛することをやめられない。
この主の熱意のゆえに私たちは
主の愛にとどまることができるのです。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたの私たちに対する

熱意を心から感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】10月9日

ヤロブアムへのさばき[Ⅰ列王記 14:1-20]

しかしあなたは、わたしのしもべ
 ダビデのようではなかった。
            Ⅰ列王記 14:8

ヤロブアムは自分の子どもが
病気になったので、
預言者アヒヤのところに
妻を遣わします。

でも彼は妻に変装して
行くように命じるのです。
彼は自分の悪に対して
後ろめたさがあったのでしょう。

アヒヤはヤロブアムの妻に、
子どもが死ぬこと、
そしてヤロブアムの家の跡を
除き去ると告げるのです。

さらに北イスラエルが
ユーフラテス川の向こうに
散らされると預言します。

ヤロブアムの罪が、
北イスラエルを後々、
滅亡させることになる。

これはイスラエルにとって
本当に厳しく悲しい預言。
それでも彼らは悔い改められない。

主はイスラエルを愛しておられた。
見捨てたくはなかったはず。
でも彼らの罪が大きすぎて、
捨てられる。

主はあわれみ深いお方。
でも罪に対しては厳しいお方。
私たちもこの主のあわれみと
厳しさを忘れずに歩んでいきたいと願います。

主よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたのあわれみと厳しさを

いつも覚えておくことができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。