【日々のみことば】5月14日

どうして主は[Ⅰサムエル4:1-11]

「どうして主は、今日、ペリシテ人の前で
 われわれを打たれたのだろう。」
              Ⅰサムエル記4:3

ペリシテ人に大敗したイスラエル人は
シロから主の契約の箱を持って来ようと
考え、実行します。

それにしても。どうして主の契約の箱を
持って来ようと思ったのでしょうか。
彼らが主なる神さまを心から信頼し、
主の助けを求めたからでしょうか。

そうではありません。
彼らはただ自分たちが勝利するために、
主なる神さまを利用しようとしたのです。

このような彼らの態度は主の意思を無視し、
主への恐れなどみじんも感じられません。
とても身勝手な信仰。

主の前にへりくだり、
主の助けを待ち望んでいないのです。
主なる神さまを身勝手に引きずり出し、
自分たちの願いを押し付けています。

私たちも主なる神さまを
利用してしまうことがないでしょうか。
自分のために主を持ち出してしまう。

このような身勝手な
信仰にならないように
日々、主の前にへりくだって
歩んで参りましょう。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたを信頼する

一日でありますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】5月13日

しもべは聞いております[Ⅰサムエル3:1-21]

「行って、寝なさい。主がおまえを呼ばれたら、
 よ、お話しください
 しもべは聞いております』と言いなさい。」
              Ⅰサムエル記3:9

主は何度もサムエルを呼ばれ、
その度に彼はエリの元に行きます。
これは主がエリの信仰を
呼び起こすためであったと考えられるのです。

エリは4章を見ますと40年間、
イスラエルのリーダーとして主に仕え、
人々を導いて来ました。

しかし息子たちの罪を放置したため、
主は彼に対して沈黙されるのです。
彼にとって主の沈黙は、
どれほど恐怖であり、
辛いことであったことでしょうか。

また年によって目が見えなくなり、
霊的にも、肉体的にも、
真っ暗闇の中を歩んでいました。

それでも神様のともしびは、
まだ消えていなかった。
主はエリのことを覚えておられ、
再び主のことばが語られよう
としていることを悟らせます。

これを悟ったエリは、
サムエルに自分がどのように
主の御声に応答していたかを
教えるのです。

「主よ、お話しください。しもべは聞いております」

主の前にへりくだり、
主の御声を待ち望む素晴らしい応答です。
エリの息子たちは、
エリの信仰を引き継ぐことができませんでした。

けれど主なる神様が選ばれたサムエルが
エリの霊的な財産を引き継ぐことになったのです。
私たちも主の御声に聞き従っていきましょう。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたのみことばに素直に

応答する信仰を与えてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】5月12日

私たちの仲裁者[Ⅰサムエル2:22-36]

主に対して人が罪を犯すなら、
 だれがその人のために仲裁に立つだろうか
             Ⅰサムエル記2:25

息子たちの悪行を聞きたエリは
「主に対して人が罪を犯すなら、
だれがその人のために仲裁に立つだろうか」
と彼らを戒めます。

けれど彼らはエリのことばを
聞こうとしないのです。
それは彼らの心が頑なにされ、
彼らを殺すことが主のみこころだったからです。

以前の私たちも、
エリの息子たちと何ら変わらず
「主に対して罪を犯す」者たちでした。
主を知らず、自分の欲望のままに
生きてきたのです。

そんな私たちを主はあわれんでくださり、
なだめの供え物として
御子イエス様を遣わしてくださいました。

この御子によって父なる神様と
私たちの愛の関係は回復したのです。
それだけでなくイエス様は
今も父なる神様の前で、私たちのために仲裁し、
弁護してくださっています。

イエス様は永遠の祭司として、
私たちのために
とりなしてくださっているのです。

このキリストのとりなしによって、
今私たちは生かされています。
この主の一方的な恵みを忘れず、
今日一日を歩んで参りましょう。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、キリストが今も私たちのために祈り、

とりなしてくださっていることを感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】5月11日

主を第一とする[Ⅰサムエル2:11-21]

ゆだねられた子の代わりとして、
 が、この妻によって、あなたに
 子孫を与えてくださいますように」
             Ⅰサムエル記2:20

エリの息子たちは、主を差し置いて、
最上の、尊い部分を取り上げて
自分のものにしてしまうのです。
この罪は主の前で非常に大きいものでした。

一方、サムエルは主の前に仕え、
エリの息子たちの影響を受けずに成長します。
彼の両親も毎年、いけにえをささげるために
宮に上り、主を第一とした生活を続けるのです。

そんな彼らにエリは祝福を与えるのです。
「主にゆだねられた子の代わりとして、
 主が、この妻によって、あなたに
 子孫を与えてくださいますように」

ここでエリが語るように、サムエルは
「主にゆだねられた子」でした。
ですから彼女は彼を自分のところに
留めることなく、主にささげます。

そんな彼女を主は顧みてくださり、
三人の息子と、二人の娘を与えてくださるのです。
ハンナは最愛の息子を主にささげ、
主なる神様を第一としました。

そのとき彼女は主から、
さらに大きな恵みを
いただくことができたのです。

私たちは、どうでしょうか。
日々、主に最上のものをささげ、
主を第一としているでしょうか。

手放すものがあるならば、
主にゆだね、手放すことが
できるようにお祈りしましょう。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたを第一とし、

握っているものを手放す勇気を与えてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】5月10日

ハンナの祈り[Ⅰサムエル2:1-10]

主は、弱い者をちりから起こし、
 貧しい者をあくたから引き上げ、
高貴な者とともに座らせ、
 彼らに栄光の座を継がせます。
             Ⅰサムエル記2:8

ハンナは6,7節で、主の絶対的な
主権を認めています。
殺すも生かすも、主のお心ひとつ。

貧しさも、豊かさも、
打ち砕かれて低くさせられるのも、
恵みによって高く上げられるのも、
人の努力ではない。

すべてが主の御手の中にあるのだと
心から主を賛美するのです。

また8節にあるように、
主はこの世にあって、
私たちを弱く、貧しい者にされます。

それは私たちに栄光の位を継がせるためです。
この栄光の位を継がせるとは、
御国、神の国を受け継ぐとも解釈できます。

しかし生まれつきの私たちは高慢で、
御国を受け継ぐにふさわしい者では
ありませんでした。

そんな私たちの代わりに、
まずイエス様が神のあり方を捨てられ、
ご自分を卑しくし、
死にまで従われました。

そして父なる神様は死からよみがえらせ、
イエス様を高く上げられたのです。
このイエス様の死と復活と昇天によって、
高慢な私たちも神様の子どもとされました。

イエス様とともに神の国の
共同相続人となる特権が与えられました。
さらに主イエス様が再びこの地上に
来られたとき、主イエス様は私たちに

「さあ、わたしの父に祝福された人たち。
 世の初めから、あなたがたのために
 備えられた御国を継ぎなさい」
    と祝福の言葉を与えてくださるのです。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、高慢な私たちをキリストにあって

御国を受け継ぐ者とさせてくださり、ありがとうございます。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】5月9日

主にゆだねる[Ⅰサムエル1:19-28]

それで私もまた、この子を
 おゆだねいたします。
この子は一生涯
 にゆだねられたものです。」
             Ⅰサムエル記1:28

主はハンナの祈りに応えてくださり、
彼女を心に留めてくださいました。
彼女は願いどおり男の子を生むのです。
その名をサムエルと名付けました。

彼女はサムエルが乳離れするまで、
主の宮には上らず、
自分のところで育てます。

そしてサムエルが乳離れしたとき、
彼女は誓願どおり、
主の宮に上って、
エリのところに連れて行くのです。

母親としては、
我が子を引き渡すというのは、
勇気のいることだったでしょう。

でも自分の願いに誠実に
答えてくださった万軍の主に、
ハンナは誠実に答えるのです。

彼女は27節で
「この子のために、私は祈ったのです」
とエリに語っています。

彼女の祈りは、
ただ自分の悩みが解消されるための
祈りではなくなっていたのです。

主にささげられ、
主に仕える子が与えられるように
との祈りに変えられていました。

自分の必要、自分の名誉を回復し、
ペニンナを見返したいという
自分中心の祈りから、
主なる神様中心にシフトしているのです。

そんなハンナはエルカナやエリとともに
主を礼拝して、主の恵みに感謝し、
主をほめたたえます。

私たちの祈りも、徐々に自己中心から、
神さま中心にシフトしていくのです。
みこころを求め、みこころがなりますように
と祈るものとされます。
この祈りこそ私たちの喜びとなることでしょう。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、自分中心の祈りから、

あなたのみこころを求める祈りへと
 私たちを導いてください。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】5月8日

もはや以前のようでは[Ⅰサムエル1:1-18]

それから彼女は帰って食事をした。
 その顔は、もはや以前のようではなかった。
             Ⅰサムエル記1:18

ハンナの心は、ペニンナによって、
また子どもが与えられないことで
乱れていました。

そんな彼女に一番必要だったのは、
傷ついた心、平安が失われていた心に、
主の平和が訪れることでした。
彼女は主の御声を聞きたかったのです。

そのハンナに何も事情を知らない
エリから「シャローム」と語られました。
彼女は、それこそが主の答えであると
信じたのでしょう。

彼女は帰って食事をするのです。
そして彼女の顔は、
もはや以前のようではなくなりました。
悩み、憂い、いらだちから解放されたのです。

では、なぜハンナは何も状況が
変わっていないのに、
以前のようではなくなったのでしょうか。

それはエリのことばを通して、
主が自分の祈りに必ず
応えてくださるという
確信が与えられたからです。

私たちの歩みの中でも、
祈りの答えをいただく時があります。
主に祈り続けて、主の答えを待つならば、
主なる神様は、みことばによって、
人の口を通して、答えを与えてくださるのです。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたが私たちに

平安を与えてくださることを
 待ち望むことができますように。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。

【日々のみことば】5月7日

ダビデの家系へ[ルツ記4:7-22]

ほめたたえられますように。
 主は、今日あなたに、
買い戻しの権利のある者が
 途絶えないようにされました。
             ルツ記4:14

ボアズは、みんなの前でエリメレクの
すべてを買い戻し、ルツを妻とします。
このことに門にいたすべての民と
長老たちは喜び、彼らを祝福します。

そして主はルツに男の子を
授けられるのです。
この子がダビデの父エッサイの
父オベデでした。

ルツの誠実さ、ボアズの決心と行動、
すべてを主が用いられ、
いや主がルツに誠実さを、
ボアズにナオミ・ルツ親子を
買い戻す思いを与えられたのです。

主はすべてのことを働かせて
益としてくださるお方。
ナオミはモアブの地で大きな
苦しみにあって悲しみの中を通りました。

その悲しみから主は回復させてくださり、
男の子の誕生という祝福を注がれたのです。
私たちも悲しみの中を通ることがあります。
けれど主はずっと私たちを悲しみの中に
閉じ込められることはないのです。

主は私たちに脱出の道を備えてくださり、
大きな祝福を備えてくださっています。
この主に信頼して、今日も歩んでいきましょう。

父よ、あなたに信頼します。あなたを愛します。
 父なる神様、あなたがすべてのことを働かせて

益としてくださることを心から感謝します。

*聖書箇所は「日々のみことば」
   (日々のみことば出版委員会)にもとづいています。